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2009年8月

2009年8月29日 (土)

もっと、もつと、はっきり言おう

1三郎「テレビのコメンテーターなどの発言が、一様になまぬるい。すぐに、<それは少し・・・>とか、<これはちょっと・・・>とか言う。<絶対に許し難いこと>であったり、<すぐに対処すべき事案>であるのに、言い方が実に生ぬるい。だから、聞いている方も、適当に聞き流すんじゃ。コメンテーターちゅうのは、それなりの教養人のはず。庶民に正しい理解を促す役じゃ。責任を果たさず、出演料詐取するのはけしからんぞ」 六郎「お怒り?・・たしかにその傾向が顕著ですね」

2、三郎「ところで、一例を言うぞ。今朝の朝日新聞朝刊の『声』欄に、『<金がねえなら>とは無責任』という投書があって、麻生首相が<金がねえなら結婚しない方がいい>と言ったことについて、<一国の総理として失格である>と書いておる。・・・これなどは、<よくぞ言った>と思う例じゃ。コメンテーター諸君よ、このくらいはっリ言えよ!・・・わしもな、この麻生発言をテレビで聞いて、<怒り心頭>だったんじゃ。更に付け加えると、麻生氏は<・・・結婚しない方がいい>の後に、たしか、<私は金があったが43歳?まで結婚しなかった>みたいなことを言うとるんじゃ。ここまで来たら、あんたでも彼の本性に気付くじゃろうが。・・・テレビでも新聞でも、ただ、報道するだけなんじゃ。ジャーナリスト・・・・ほんまに、ほんまに、・・・たるんどるのう!!」

3、六郎「麻生さんは底抜けの正直者?。選挙前の、この大事な時期に、本音をそのまま出す正直者!」 三郎「問題はじゃ、第一に、<傲慢・嬌慢・庶民蔑視が彼の本性だ>、ということじゃ。たとえ、<①有名政治家の孫で、かつ②大金持ち>であったとしても、<本人の資質によっては、庶民の幸せを第一に考えて粉骨砕身するような政治家になる>ことも、あり得る筈じゃが、麻生氏は、まさに最悪例じゃ。最も政治家に不適当な本性の持ち主なんじゃ。これ見ると<世襲を不可とする意見は当然だ>と言いたくなるぞ。第二の問題は、<政治家として、首相として、自らの言動に気を配ることすら出来ぬ人間が首相になっている>ちゅうことじゃ。あんたはそれを正直という。首相として外国の要人と話すときに、<馬鹿正直>であったら、日本国民を守れるかい?」

4、六郎「二重の意味で、まさに<一国の総理失格>ですか?」 三郎「しかり、しかり。勿論、麻生氏が馬鹿正直でない(本性を隠せる)人物であったとしても、わしゃ、とっくに、彼の本性を見破っておったがのう。・・・声欄に投書した人の言葉通り<首相失格>であるばかりか、こういう御仁を総裁=総理に選んだ自民・公明両党の全員(大幹部・中堅・若手)が<政治家失格>ちゅうことじゃ」 六郎「とすれば、<政権交代は当然も当然>ということですね」 三郎「20年〰30年遅かったな」 

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2009年8月28日 (金)

近現代史・・日本の戦争1、日清戦争(明治27・8年)

1、三郎「明治以来の国際間の戦争でも、その成り行きや意識には、色々あった。最初に、国際間にどんな取り決めがあったのか、ごく簡単に見ておく・・ここ(≪≫部分)は、飛ばしてもエエぞ。・・・・・≪①1648年・ウエストフアリア条約。<国家はそれぞれ主権を持ち、互いの領土を尊重し内政干渉を行わない>という近代国際法の基礎が出来上がった。が、②1907年(明治40年)・ハーグ陸戦協定。<アグレッシヴ・ウオー(先制攻撃・侵略戦争)は否定されていない。ただ、戦争する前に開戦通知をやれ、と>③1919年(大正8年)・ヴェルサイユ条約。<侵略した国が賠償責任を負う、とした>④1925年(大正14年)・ロカルノ条約。1928年(昭和3年)・パリ不戦条約。<侵略戦争(アグレッシヴ・ウオー)は違法行為だ、とした。ただし罰則規定なし>⑤1933年(昭和8年)・<侵略戦争の定義を明らかにした>≫・・・・・これらから分かることは、19世紀後半から20世紀初めにかけて、欧米列強は互いに対立しながら、アジア・アフリカ・太平洋地域への膨張・植民地獲得政策を進めていた。・・帝国主義時代じゃな。・・1868年に明治維新を迎えた日本は、いきなりこの体制に入りこんだ。・・20世紀になって、国際間に、帝国主義に対する反省の色も見え始めたが、なかなか帝国主義を捨てきれぬ国もあった。・・問題は、そんな中で、日本はどうであったのか?・・ちゅうことじゃな」

2、三郎「日本は、古くは遣隋・遣唐の昔から、対外膨張姿勢を見せてきた。徳川の鎖国260年間も、橋本左内・吉田松陰などは対外発展を唱えておったんじゃぞ。さて明治維新で明治政府ができると、早くも明治6年に征韓論争、翌7年に台湾征伐、8年に江華島事件(朝鮮に軍艦を派遣して衝突した事件)などが起きている。本来、膨張主義にも、武力によるもの、経済力によるもの・・・などなど、態様はさまざまある筈じゃ。・・そんな中で、武力による強引な膨張主義となると、これぞ、いわゆる侵略主義(帝国主義)であり、国内的には軍国主義となるものじゃ。明治日本は、山県有朋の有名な<主権線・利益線論>が示すように<富国強兵策>で始まったんじゃ。・・<主権線>とは国境線のことで、<利益線>とは主権線を守るために確保すべき地域(当面は朝鮮だが、満州も、更にはその外も・・・)のことだ。・・・だから、まずは、軍備拡張が続いた。具体的な兵力量で言えば、日清戦争前の10年間に、陸軍は5万4000人から12万3000人に、海軍も25隻2万8000トンから55隻6万3000トンに増強された。一般会計に占める軍事費の比率で言えば、明治10年代は20%前後、20年代は30%弱、30年代初めの数年間は40〰50%にまで達した」 六郎「国民はおとなしく貧に耐えていたんですね。だけでなく、出兵して勇敢に戦った・・・」

3、六郎「維新後、明治政府は、<国内統治の基盤が確立するかしないか>という早い時期から、武力による対外膨張を志したんですね?」 三郎「そうじゃ。まずは朝鮮狙いだ。その背景には、<帝政ロシアの南下政策(満州・朝鮮などへの侵略)に対して先手を打つ(つまり、日本の利益線を確保する)>ということもあったんじゃ。・・・ところで、朝鮮を手に入れるためには、清国を抑えねばならぬ」 六郎「はて、それはなぜ?」 三郎「おう、その説明が必要じゃな。・・昔々、中華思想とか華夷思想とかいう言葉・・漢民族が文化的に優れていて中央にある、とし、周りの民族を蔑視する思想・・があり、それが現実にもなっていた。宗属支配とも言われたが、帝国主義支配じゃな。清国と朝鮮には、もともとそういう関係があった。・・・だから朝鮮を配下にしようとすれば、清国を排除せんならんのじゃ」

4、三郎「朝鮮国内でゴタゴタでもあれば、清国は当然のごとく軍を出す。日本も口実さえあれば、朝鮮に軍を出したい。あの頃、天津条約なんちゅうものがあった。<日本と清国は、朝鮮にゴタゴタがあって、出兵するときは、互に事前通知する>と取り決めたもんじゃ。それも朝鮮抜きの取り決めじゃった。明治27年(1894年)、朝鮮で農民たちの反乱がおこったので、日本と清国はほぼ同時に朝鮮に軍を送った。日本は<朝鮮は清国の属国じゃない。清国が出兵したから日本もやるんだ>と言って、イギリスとかロシアに対する口実を作って軍を送った。陸奥宗光外相や川上操六参謀次長などが清国に対する開戦準備をどんどん進めておったんじゃ。<当時、参謀本部の東条英教少佐(東条英樹首相の父親)とか上原勇作工兵少佐(山県有朋に近い、後の元帥)が、命令を受けて活躍した>、という文献があるぞ」

5、三郎「日清両軍の朝鮮派兵によって、日清間の緊張は一挙に高まった。ところで、<7月23日、日本は、大陸浪人を使って漢城電信局の電線を切断させ、日本軍が朝鮮王宮を占領した>という文献がある。<7月25日に豊島沖で、日清艦隊の砲撃戦が始まった>という文献もある。が、<日清間で、どちらが先に攻撃を仕掛けたか>については今でも見方が分かれている。<相手が先に仕掛けてきた>とするために、記録が改ざんされる事があったようじゃ。半藤一利氏や別宮暖朗氏は<清国軍が先に攻めた>と言うし、秦郁彦氏は<仕掛けたのは日本軍だ>と言う。前に言うたように、20世紀になってしばらくして、先制攻撃(侵略)はいかんという雰囲気が国際間にはっきり出てきたようだが、明治27年頃も、日本は、<日本が先に攻めた>と言われないように気を使っていたようじゃ。<エエ格好しー>しておったんじゃな」

6、六郎「<どちらが先に攻めたか>よりも、日本は朝鮮を、利益線として確保するために、早くから<対清戦争を準備>していた。<清国もこれに対抗しよう>としていた。・・・これですね」 三郎「清国は、中華思想→宗属関係=中華帝国主義を維持しようとし、日本は先ず朝鮮を利益線として支配下に収めようとする。いずれも帝国主義だな。19世紀後半だから、国際間に、帝国主義に対する反省の少ない時代だった、・・とはいえ・・、いずれも帝国主義には違いないぞ。被害者は勿論朝鮮じゃ。田母神さんとかは『日本は他国を侵略したことはない』と言うちょるそうじゃが、どういうことかのう?・・彼は、山県有朋並みに<利益線確保は当然のこと>ちゅうのかい?それとも、<19世紀後半頃にやったことは侵略でも許されるんじゃ>ちゅうことかいのう?それとも<あれは、自立できなかった朝鮮を助けてやったんだ>かな?・・ものは言いようじゃのう。これなど、満州事変(昭和6年)頃の板垣・石原参謀とか、辻政信参謀を、思い出させるもんじゃぞ。・・・田母神さんは、<まさに辻政信の再来>なんじゃな・・・??」

7、三郎「日清戦争で、日本軍は、山県有朋指揮下の第1軍が、広島から釜山に上陸して、陸路仁川に。また広島から海路直接仁川にも。それから清国軍を追い、平壌を経て、中鮮国境の新義州あたりへ。さらに国境を越えて、清国の海城・営口へと進んだ。一方大山巌指揮下の第2軍は清国遼東半島の花園口に上陸し、金州・旅順・威海衛・大連から営口へと進んだ。その間旅順虐殺事件も騒がれた。更には、講和条約締結までに台湾島占領の事実を作っておいて、台湾をも割譲させようとした。台湾占領は比較的簡単に終わったが、日本軍はコレラの発生に苦しんだ。患者総数1700名、死亡者1000名であった。つまり、戦争目的は当初の<朝鮮から清国の影響力を排除すること>に<中国本土占領>が加わった。下関講和条約で、日本は、遼東半島・台湾・澎湖諸島と約2億両(テール・3億1000万円)の賠償金を得、清国が欧米諸国と結んでいた不平等条約を、日本とも結ばせた。それによって、沙市・重慶・蘇州・杭州での商業・貿易権を日本が得る開市・開港を約束させた。このころから日本人は中国人を見下げ始めたんじゃ」 六郎「チャンコロなどと?」

8、三郎「ところで、遼東半島については、露・仏・独の三国干渉によって、日本は清国に返すことになったんだが、この後、イギリスが山東半島威海衛を、ドイツが膠州湾を、ロシアが遼東半島の旅順・大連を、フランスが広州湾を租借した。日清戦争を機会に、日・英・独・仏・露が一気に帝国主義を加速させることになった。田母神さんは、これをなんと言うのであろうかのう?」 六郎「<帝国主義時代の侵略は当然のことだった。だから、それはいわゆる侵略じゃない?>と??」

9、三郎「戦争前から、勝海舟(江戸幕府の要人じゃったが、明治政府でもしかるべき地位にあった)は、<清国と戦争して勝ったとしても、結局は西洋列強の干渉を招くだけだ>と反対していた。その後の長い歴史をみると、なかなかの烔眼じゃった。<山県有朋的な利益線の確保、拡大・・>とは根本的に違う。勿論、山県的大国主義に対して、明治の初めから、日本に小国主義もあった。岩倉使節団はヨーロッパの小国も見てきたんじゃ。使節団の一人佐々木高行は<小国たるスイスやオランダは、小国としての体制と精神に徹して大国の侮りも受けず、信義をもって国威を発揚しており、日本としてはもっとも見習いたい国だ>と思った。が、日本は大国主義で突っ走った。日清戦争の勝利によって山県の利益線は朝鮮から満州に広がることになった。明治34年4月、山県は伊藤首相に対して<彼(ロシア)にして其強を恃み、進で我利益線を侵すに至らば、我亦意を決して之に当るの覚悟なかるべからず>と覚悟を促したんじゃ」 

10、六郎「小国主義とは?・・逼塞(ヒッソク)主義?」 三郎「いや、いや、三浦銕太郎(テツタロウ)は、<大国主義は軍国主義・専制主義・国家主義で、小国主義は産業主義・自由主義・個人主義だ>と言い、植民地の拡大は経済的にも政治的にもマイナスである、として、早くから満州放棄を謳ったんじゃ。・・・戦後首相になった石橋湛山も、早くから同意見であった。彼らが挙げる小国主義の国とは、スイス・オランダ・ベルギー・デンマーク・スエーデン・ノルウエーなどなどじゃろうのう。敗戦後の、今の日本も、そうじゃろうかのう?(痛い目に遇うてしもうたが)」 

11、六郎「イギリスちゅう国は、小国主義をかかげたりしながら植民地を拡大した。変な国ですね」 三郎「三浦は、かつて、<イギリスでは、大国主義と小国主義が相依り相輔け、相伐ち相磨きて、国民の福利を増進し、その発展を成就するに遺算なからしめたが、日本は明治維新以来、今日までほとんど大国主義を以て一貫した>という意味のことを言うたもんじゃ。大正の初め頃の言葉じゃったかのう?・・・繰り返すが、明治の初めから、日本にも、植木枝盛(エモリ)・中江兆民ら(民権運動家)は小国主義を唱え、その後、さっき言った三浦銕太郎とか石橋湛山が出たんじゃが、大国主義全盛下に抑え込まれたんじゃ」

12、三郎「あ、それから・・・、彼の有名な徳富蘇峰(トクトミソホウ)じゃが、当初は平民主義じゃったのが、『日本国民の活題目は国民的膨張にある。国民的膨張つまり大国主義は、他国への侵略ではなく、世界への雄飛であり、大義を布くことである』ということになった。陸羯南(クガカツナン)なんかも、もともとの国民主義から、最後には明治政府の大陸侵略に追随したんじゃ。明治22年の大日本帝国憲法や、翌年の教育勅語、そうして日清戦争(明治27・8年)と来て、日本は、軍事的膨張・・山県的利益線確保・・に統合されていったんじゃな」

13、六郎「その、徳富蘇峰の言う<他国への侵略ではなく、世界への雄飛だ>という言葉通りであれば、<例えば経済的雄飛だったら、むしろ小国主義だ>とも言えるんじゃないですか?この言葉通りであれば、誰かさんの『日本は侵略したことがない』も成り立つんですがね」 三郎「言葉の真意はともかくとして、当時、時の勢いは、ひたすら軍事的膨張に流れたんじゃ。・・・軽率な、曖昧な、あるいは意図的な・・・、そんな言葉が、思いがけない歴史事実を作って行く事になるんじゃのう!・・・前にも言うたが、最近、<本屋に誰かさんばりの本がたち並び>、<○○講演会に人が集まっておる>らしいぞ!・・約120年の逆戻りかい?・・あ、そうそう、明日は(8月30日・総選挙の投票日)じゃったな!しっかり選んで来んといかんのう!!」  

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2009年8月26日 (水)

やっぱり!・・歴史は繰り返すか?・・悲劇も繰り返すか?・・

1、六郎「今朝の読売新聞見て驚きました。<前空幕長・田母神氏が宮崎で応援演説し、広島で行われた8月6日の平和記念式典を『日本弱体化の左翼運動だ』『式典に広島市民も県民もほとんどいない。原爆被害者もその2世もほとんどいない。並んでいるのは全国からバスで集まった左翼ばかり』と言った。・・・被爆者関係団体の当事者は、『相手にもしたくもないが』・・・と、憤っている>という記事です。前空幕長は、お気は確かでしょうかね?」

2、三郎「わしゃ、それが読売新聞に書いてあったちゅうことが、先ず驚きじゃな。読売さんでも、<いくらなんでも、これは??>と思うたんじゃろうのう。じゃから、あんたが、<正気か?>と驚くのは無理ないわい。勿論、その御仁、正気じゃろうのう。わしゃのう、戦前を知っておるから、驚きゃせんのじゃ。戦前・戦中、そっくりの人が、じゃんじゃんおったぞ。わしの中学の頃の軍事教練担当者や、わしが陸軍の学校に居た頃の教官たち・・、に、おったぞ、おったぞ。<①凝り固まっておる②おのれの言うことが事実かどうか、なんてどうでもエエ③ひたすら扇動したい④有名になりたい>・・・これだけじゃった。まさに歴史は繰り返しておるぞ。それにしても、戦争という苦い経験したのに、今、宮崎で、それを、まともに聞いておる人がおるんかいのう?・・・おるかも知れんのう?なんちゅうたって、歴史なんて誰も知らん。じゃから、民のレベルは、昭和5・6年から14・5年頃とおんなじなんじゃ。扇動者がしゃべったり書いたりすると、みんな、本気で聞くんじゃな。・・・原爆被害者とか、南方や大陸で戦死した若者たちとか・・310万人と言われるが、もっともっと多い筈・・、が、あの世で泣いておるだろうのう」

3、三郎「あ、そう、そう、思い出したぞ。確か8月15日じゃったか、NHKが2〰3時間かけて、<核問題に関する討論番組?>やっとった。なかなかエエ企画じゃった。それ見ながら思うたもんじゃ。<20〰30人の参加者の中に、・・・<男性で、見るからに、無思慮・無責任・剛毅ぶり屋>・・・ちゅう同じ印象の数人・・がおった。そうして、彼らは、みんな、<日本核武装>を唱えておったぞ。・・・、さっき言うたように、これも、戦前によく見かけた御仁たちじや。・・・その戦前の御仁たち、・・彼ら、もう、すべてあの世においでじゃろうが・・、さっきの読売新聞の記事にある、宮崎の事実を見て、頭を抱えておるじゃろうのう。・・・・・『おお、俺とおんなじバカモンが、70年経っても、おるもんじゃのう!』とな」

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2009年8月21日 (金)

あたり前のことが、どうしてこんな・・・

1、三郎「わしゃ、ここのところ、毎日、読売新聞も読んでおる。読むたびにガックリくる。スポーツ欄に、必ず巨人軍選手の写真が、ひときわ大きく出る。勝っても負けても、じゃ。気分悪い、のう!勿論、読売=巨人の関係だからじゃ。<恥も外聞も無い新聞>だからじゃ。<正義感極小・エゴ極大>ちゅうトップオブトップが長年支配し続けておる新聞だからじゃ。かつて、<金にあかして有名選手を集めまくった(スポーツマンシップなんかくそくらえ)>ちゅう新聞・球団グループだからじゃな」 六郎「気にしない。気にしない」 三郎「わしもそう思うことにしておるが、なんちゅうたって、新聞じゃぞ!社会の公器じゃぞ」 六郎「そんな事も気にしないようなトップオブトップを長年いただいている新聞はごく珍しい。希少価値ですよ」

2、三郎「その新聞が衆院戦現状記事を書いておるぞ。ここでも???を感じたぞ。<小池?佐藤?・・・自民党女性議員が、それぞれの選挙区でトップを追っている>という記事があったんじゃ。わしゃこの二人には、数分テレビで見ただけで『あ、こりゃあ今の自民党の典型じゃ』という印象を受けたもんじゃ。<50余年政権を独占したために、嬌慢・傲慢・国民無視・おのれの出世だけの政党となった自民党>の、まさに典型的人物なんじゃ。そんな二人が2位につけておるんじゃ。まさに<どうしてこんな・・>ちゅう思いじゃぞ」

3、三郎「まだまだ選挙民の人物眼は低劣、じゃのう!!。勿論、こんにちの<自民党の危機>は当然じゃ。自業自得じゃ。あるいは<50余年間権力持ち続けたら、誰でも、こうなるわい>ちゅうことかもしれんのう。・・・じゃが、さっきの二人など、の個々の人間についていえば、それぞれの<生来の傲慢な性格>があるんじゃ。それが、現在の<傲慢自民党にピッタリ来た>ちゅうことじゃのう!いずれにしても、傲慢人間・傲慢政党を、これ以上政界にのさばらせてはいかんのじゃ。国民の大不幸になるんじゃ。<国民蔑視の政党や人間>は、ここで徹底してたたきのめさんといかんぞ。政権交代ちゅうもんは、民主主義唯一の武器じゃ。国民蔑視に対する唯一のお灸じゃ。・・お灸は、うんと熱くないと、効果が薄いからのう」

4、六郎「<車は、あんまり通りそうにないが、ここに立派な道路つけたら、地元民が喜んで、私に票入れるわ><あのダム、必要性は高くないが、どうせ税金なんだから、うんと金使うて造らせたら、○○建設会社がすごく儲かるぞ。そうすりゃ、俺に、何億円も戻って来るわい。○○会社は会社を挙げて選挙応援してくれるわい。社員たち、個人的にわしを知らんでも、会社を儲けさせてくれれば自分たちのボーナスが増えるんじゃから。そりゃあ、わしを応援してくれるの当然じゃ!>・・・政権与党議員というのは、長年の間、族議員になって、官僚と組んで、官僚にもおこぼれやって、不要の公共工事やらせて、税金で業者を儲けさせて、結局、税金の一部を、自分の懐に入れてきたんですね。その結果、820兆円?〰860兆円?も国の借金がある。それは毎年沢山返済しなけりゃならん。その分、毎年の税金が福祉などに使えない。だから、老人ホーム何万人待ち、託児所大不足で、女性が働きに出れない・・・・・・。実に、ふざけていますね!!」

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2009年8月17日 (月)

歴史の事実はそうだったのか

1、六郎「8月15日の読売新聞の社説にこんな文章がありました。『日本陸軍は当初、ドイツと同盟を結び、ソ連をけん制しようと考えていた。その独ソによる不可侵条約の締結に驚いた平沼騏一郎内閣は(欧州の天地は複雑怪奇)との声明を出して総辞職した。その後、近衛文麿内閣は日独伊三国同盟と日ソ中立条約を締結した。松岡洋右外相は日独伊にソ連を加えた4か国の連携で、英米との力の均衡をはかり、日米関係を打開しようと考えていた。だが、独ソ戦が始まり構想は破綻した。続く東条英樹内閣は、米国との無謀な戦争に踏み切る。戦争末期、鈴木貫太郎内閣はソ連に終戦の仲介を依頼したが、ソ連は日ソ中立条約を破って旧満州に侵攻した。57万5000人の将兵がシベリアなどに抑留され、5万5000人が死亡したと推定されている。・・・当時の日本の指導者たちは世界の情勢を見誤っていたのは明らかだろう』・・・昭和12・3年から20年にかけての話でしょうが、チンプンカンプン。説明願います」 

2、三郎「よろしい。確かに複雑怪奇で<一体何のこっちゃ?>と思うじゃろうのう。・・・①昭和12年7月に、日中戦争(当時は支那事変ちゅうとった)が開始された。最初の頃ドイツは中国を応援しておった筈じゃ。日本軍は優勢じゃったが、中国側はどんどん奥地に逃げ込んで抵抗するから、何時までも戦争を終わりにできんかった。日本陸軍首脳部の見込み違いだったんじゃな。②その昭和12年11月に日独伊防共協定というものが締結された。防共の<共>は、強力な共産国ソ連のことじゃ。日本は独伊と一緒になってソ連に対抗しようということじゃった」

3、三郎「明治維新後日本陸軍はドイツから学んだんで、どちらかと言えば、ドイツ好みだったんじゃが、何よりも、ヒトラー率いるドイツの世界戦略が、適当に日本を利用しようとしたんじゃな。日本もそれに乗っかって、<日独伊が協力してソ連に対抗しよう>ということにしたんじゃ。ところがじゃ、③昭和14年8月23日に、突然、<独ソ不可侵条約>というものが結ばれたんじゃ。ドイツがソ連と仲良くしようと決めたんじゃ。これで、日独伊防共協定は無意味になってしもうた。だから、平沼騏一郎首相は<複雑怪奇>と嘆いて総辞職したんじゃ」

4、三郎「この平沼騏一郎ちゅう人は、明治末の大逆事件(幸徳秋水ら12人を不当裁判で死刑にした明治43年の事件)そのほかで、山県有朋にくっついて社会主義者らを徹底的に弾圧した人物だが、さすがに国際政治の変転にはうろたえたんじゃな。・・あ、そうそう、小泉郵政民営化に反対して自民党を抜け出した平沼さんは、騏一郎の家系の御仁じゃ。・・・話戻して、さっき言うた独ソ不可侵条約(③昭和14年8月)の背景について説明するぞ。前に、ノモンハン事件(昭和14年5〰9月)の話してやったが、それがこの時じゃった。ソ連は、アジアで日本軍と戦わねばならぬ。あちこちで戦うのは大変じゃから、<とりあえずドイツと仲良くしよう>と考えた。一方、ドイツは、この時、ポーランドに攻め込もうとしていたから、これも<東西両面作戦は大変じゃから、とりあえず東方のソ連とは仲良くしておこう>と思うたんじゃな。直後の9月1日にドイツ軍がポーランドに攻め込んだぞ。ポーランドと相互援助条約を結んでいた英仏は、すぐさま、ドイツに宣戦布告した。・・これ第2次世界大戦の開始じゃ」

5、六郎「なるほどなるほど。そんな背景が!」 三郎「じゃから、前に話したノモンハン事件についても、知っておけば、歴史の裏が分かるちゅうこっちゃぞ」 六郎「了解しました」 三郎「さて、翌昭和15年に入ってもドイツ軍は勝ち続けて、デンマーク・ノルウエー・ベルギー・オランダ・ルクセンブルグに攻め込み、6月14日には<フランスはパリ>を占領してしもうたぞ」 六郎「英仏海峡のダンケルクに達したドイツ軍は、イギリス本土爆撃を始めた?」 三郎「然り、然り」

6、三郎「昭和15年7月22日、第2次近衛内閣になった。東条英機陸軍大臣の誕生じゃな。9月になると、ドイツ公使が来て、<日独伊三国同盟(軍事同盟)を結ぼうじゃないか>と盛んに言うて来始めたんじゃ。外務大臣は松岡洋右じゃった。ドイツは、イギリス空軍が強力で、英本土上陸作戦が出来ずに困っていたから、日本と軍事同盟を結ぶことによって、アメリカを牽制し、アメリカがイギリス側に参戦することを防ごうとしたのじゃ。これについて、日本では、海軍が慎重であったが、遂に9月27日ベルリンで、日独伊三国同盟条約の調印が行われた。これによって、日本は、相変わらず石油そのほか経済的に米英に依存しているにも拘らず、軍事的に米英と敵対するという事態になってしまった」

7、六郎「海軍は慎重だった?」 三郎「海軍良識派の米内光政(ヨナイミツマサ)海軍大臣・山本五十六(イソロク)海軍次官・井上成美(シゲヨシ)軍務局長が三国同盟締結に猛反対していたんだが、そのほかの海軍軍人に賛成派が多かったんじゃ」 六郎「陸軍はドイツに学び海軍はイギリスに学んだんでしょ?」 三郎「その通りじゃ。じゃのに、なぜ、海軍に親ドイツ派がいたか?じゃな」

8、三郎「なんかの本で読んだんじゃが、海軍大学出た中堅海軍将校らは海外勤務も多い。大使館付武官などじゃな。ドイツへ行った海軍士官はメイドちゅう名目で女性をあてがわれたそうじゃ。東京でも、ドイツ大使館は接待費をジャンジャン使うたらしいぞ。じゃから、みんな、ドイツに親近感を持ったようじゃ」 六郎「あさましいが、ありそうなこと!」 三郎「それとな、海軍は三国同盟に賛成するかわりに陸軍から予算と物資をもらう約束をした、ちゅう話も聞いたぞ」 六郎「あさましい。これが国を守る軍人・・それも幹部将校たち・・?・・情けない、情けない。彼らは国民を売った!!」

9、三郎「米内・山本・井上トリオは、まーまー立派だったんじゃが、海軍全体としては、今の官僚とおんなじじゃ。当時は報道も規制されていたし、国民も統制されたおった。国民からの監視も出来ておらん。そればかりではないぞ。ちょうどこの頃、昭和15年10月12日に大政翼賛会ができた。議会も街中も、すべて一国一党的に統制されたんじゃ。監視など、到底できんわい。・・読売新聞の社説に書いてあったように<松岡洋右外務大臣は日独伊三国同盟と日ソ中立条約とで4か国連携を作り、米英に対抗しようとしていた>・・・たしか、『昭和天皇独白録』に<松岡はドイツに買収されたんじゃないか>ちゅう部分がある。ドイツはしたたかなやり方をするし、松岡外相は<思いつき外相>だったようじゃ。近衛・松岡・・レベル低い政治家たち・・のもと、国民大被害が始まったんじゃ。となると、麻生さんは?・・・大いに心配じゃのう!!」

10、三郎「読売新聞の社説は、<東条内閣が無謀な対米開戦をした>とも書いておる。前にも言うたが、東条首相は、かねて部下に調べさせて、<国力の違いからも、到底勝ち目がない>と知りながら対米開戦をした。<フニャフニャ首相が開戦を決意するに至る陸軍内部の経過>は、そのうちに話してやるぞ。・・・昭和20年、太平洋戦争末期にソ連は、先に結んでおった日ソ中立条約を簡単に破棄して、満州に攻め込んできた。スターリンは、<いよいよ日本は負ける。早いとこ攻め込んでおかぬと、満州・朝鮮などがアメリカ勢力圏に入ってしまう>と思うて急遽攻め込んできたんじゃ。当時はまだ米ソ対立の冷戦時代じゃったからのう。スターリンのやりたい放題じゃ。これで、日本将兵だけでなく、日本から満州に行っていた開拓団の人々は悲惨な運命に遭遇したんじゃ。ソ連が満州に入ってくると、軍は真っ先に逃げて開拓団の人々が取り残された。そこで、ソ連軍や現地人からひどい目にあわされたんじゃ。もともと軍とは自国民を守るべきもんじゃないか。けしからんぞ。ともあれ、読売新聞が開拓団などに触れておらんのには、わしゃ大いに不満じゃぞ」

11、三郎「とりあえず、今日の話は、これで終わりにするぞ。・・・・・以上が<読売新聞の社説が簡略化して書いたので、チンプンカンプンじゃった>というあんたに対するわしの解説じゃ。分かったか?」 六郎「実によく分かりました。特に、ヒトラー・スターリンらは、変幻自在・やりたい放題ですね。それに対する日本の首相らは、<オロオロ・茫然、やられ放題>ですね。それによる被害者は、言うまでも無く日本国民ですね。一度しかない人生を台無しにされましたね。・・・・選挙が近いですが、候補者の人柄(国民に対する愛情)と能力(知識・判断力・経綸)とを、しっかり見定めて投票しなければいけませんね。タレントに対する人気投票みたいじゃいけませんね!・・・つくづく、感じました!」

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2009年8月14日 (金)

口舌(口説)の徒・・クゼツ(クゼチ・コウゼツ)ノト・・

1、三郎「口説の徒。・・あんた知っちょるだろうが?」 六郎「何度か聞いたことありますね。読み方はいろいろあるようですが、わたしゃ、<クゼツノト>と言いたいですね。一番かっこいい」 三郎「それでエエよ。わしゃ、あんたにこの言葉を、<石原東京都知事が、例によって、他人を悪しざまに言う時によく使う言葉>として話したはずじゃ。意味は<弁舌だけに優れて実行力のないもの(広辞苑)>となっておる。わしなら、<弁舌だけは優れているが実(真心)のないもの>としたいぞ」

2、六郎「いますね、いますね、あちこちに・・クゼツノト!!」 三郎「そんな恋人持った男や女は大不幸じゃ。じゃが、なんちゅうたって、今行われておる選挙運動なんかで、<一見巧みな弁舌>にだまされて、つい<この人ならやってくれるか?>などと勘違いして票を入れる人間が多かったら、これ、全国民の大不幸じゃぞ。当選させたら、庶民を見下して、おのれのことばかり考える政治家。自己顕示・自己利益を考えて、よからぬ業者とくっついて、税金を無駄使いする。あるいは税金をかすめ取る。そんな政治家生みだしたら、庶民は孫子の代までの大不幸じゃ」

3、六郎「見分けが難しい?」 三郎「勿論じゃ。演説聞いただけで見分けるのは容易ではない。じゃが、真剣に聞いておれば・・ほんまに真剣に聞けば・・<口先だけか?><能力なく薄っぺらか?><実(誠意)があるか?>は追々分かってくるもんじゃ。昨日、あんたに、『やましき沈黙』を語った最後に、わしが、<わっしゃ、勘が鋭いんじゃ>ちゅうたが、みんなそうなれるんじゃ。努力次第じゃ。フアフア薄っぺらな生活せんと、孫や子供に対する責任を果たそうとすれば、みんな勘が鋭くなれるんじゃぞ」

4、三郎「勿論、口がうまい人間にだまされそうになっても、その人間の、その後の言動(勿論政治活動も)をつぶさに見れば、勘はますます鋭くなるもんじゃ」 六郎「ところで、あなたの評価は?」 三郎「わしゃ、何度もあんたに話したじゃろうが。口説の徒ちゅう言葉がお好きな某知事さんは、<典型的な口説の徒さん>じゃ。生活に苦しむ都民の生活には目もくれず、オリンピック招致でおのれを顕示しようと血眼になるんじゃからのう!・・・それとな、最近わしが感じるのは、公明党に<口説の徒>が多いちゅうこっちゃ。勿論どの党にもおるが、特に最近感じるのがあの党じゃ。代表・・太田さんじゃったかのう。幹事長・・北川さんじゃったかのう。前の幹事長・・冬柴さんじゃったたかのう。副幹事長・・高木さんじゃったかのう。・・・太り具合や身長や、声の大きさや、しゃべる速さはバラバラじゃが、彼らのおしゃべりから受けるわしの印象は、みんな<○○の△>じゃぞ。ほんまに、ほんまに、おんなじじゃ」

5、三郎「あの人たち、A、大声あげる人、B、歯切れよく喋りまくる人、C、野党の人間のおしゃべりで、都合が悪い所になると、おのれの発言をかぶせる人、などなど・・・・、まさにさまざまじゃが、まとめて・・<まさに口先だけ>、<まさに誠意なし>ばかりじゃ。やっぱり『類は友を呼ぶ』『類は類を以て集まる』じゃ。わしゃ、つくずく、<格言とは鋭きものなり>と思うぜ。・・・じゃからこそ、弱小政党ながら、政権与党席にしがみついて、すり抜けられるんじゃのう!!それで自民・公明が長年やってきたから、借金が820兆円になんなんとする(先進国に稀なる)税金無駄使いを成し遂げたんじゃ。そんなこと、彼らは気にしちょらんわい。彼ら、うんと年取って政治家を辞めればそれで終わりじゃ。苦しむのは、庶民の子供・孫たちじゃ。・・・勿論、主体の自民党にも<○○の△>はいっぱいおる。典型的な御仁を一人あげれば、世耕弘成氏じゃな。この人、さっきの公明党の高木さんによく似たタイプじゃ。口八丁手八丁じゃが、その手が、変な方に使われておらんかいのう?」

6、三郎「前に話したじゃろうが。わしが四国の中学で、67年前に分かれた同級生(彼はもう死んでおるそうじゃ)の、息子さん(65歳くらい?)が突然、はるばる四国から電話してきて『都議選、公明党の○○をよろしく』ちゅうたんじゃ。ビックリしたな、もー。・・・あの党は、<類友(ルイトモ)>であるし、<団結力(帰依心)抜群>みたいじゃ。ビックリしたな、もー」 六郎「その原因を知りたいものですねー。・・昭和初期のそれに近い<洗脳された忠誠心>?・・それとも<集い・語り・遊ぶことの楽しい団体に対する帰属意識>?・・知りたいものですねー」 三郎「ずいぶん昔に、あのグループの研究をして本を書いた人がおるが、はるか前に亡くなっておるぞ。わしゃ、その本読んでない。よーわからんわい」

7、三郎「話変わるが、今、テレビが山城しんご氏の死去を伝えておる。70歳?。糖尿病を病んでおった。晩年一人ぼっちで特別養護老人ホームに住んでおったそうじゃな」 六郎「それ、・・入居料の安いホーム?・・あれだけ鳴らした映画俳優が?」 三郎「そうじゃな。離婚して子供にも見放されて?・・・。彼、まさに口が巧みじゃった。楽しませてくれた。映画だけでなくしゃべくりでも有名じゃった。さっきからの話につなげれば、まさに口説の徒(おしゃべり)じゃな。浮気などで家族は苦労したのかもしれない。家族には同情する。が、庶民は迷惑こうむらずに笑わせてもろうた。・・・ここが、おんなじ口説の徒にしても、政治家と俳優の違いじゃ。政治家は<国民の安全・幸福>に、大いにかかわるんじゃ」

8、三郎「それが分からずに、俳優さんに大騒ぎするのとおんなじつもりで政治家に大騒ぎする人が多過ぎるんじゃ。実に愚かじゃ。悲劇じゃ。さっきから言うたように政治家は<口説の徒>かどうか厳しく評価せんならん。それをやらねばおのれ・子供・孫が不幸になるんじゃ。こういう軽薄国民らを、わしが、『天唾愚民(天に唾する=自業自得の)愚か者』と言う意味わかるじゃろうが。大体、政治家には、我々の汗と油の税金から、一人年3000〰4000万円払うておるんじゃぞ。山城さんは、自分の芸で稼いでおったんじゃぞ。政治家には車・施設・警備員などなど入れれば、億に近い税金つぎ込んでおるんじゃないかい?。その政治家が久しく、建設業者を儲けさせるために、無駄な道路を、めちゃくちゃ高く造らせて(税金濫費して)来たんじゃ。建設業者からは当然、リベート(金・票)が戻っておるわい」

9、三郎「それと、山城さんは、特別養護老人ホームに住んでおったそうじゃが、これは公の施設で、安く入れるんじゃ。割合古くからあったんじゃ。わしゃ、25・26年程前に、<90歳のお袋の為にどうだろうか?>と思うてホームを訪ねたことがあったんじゃ。・・じゃが、入居待ちが沢山おって、到底無理じゃった。つまり、国の福祉施設なんちゅうもんは、全然役に立たんかった。勿論、介護保険が始まリ、民間の有料老人ホームが出来始めたのは、はるかに後なんじゃ。介護保険は20年くらい前からじゃ。民間有料老人ホームの建設は、介護保険に連動しておるからもっともっと後からじゃ。国の福祉政策がグズグズしておったから、老人ホーム全体も遅れたんじゃ。これが<口説の徒政治家どものエゴ゙・怠慢が民を苦しめる>一例じゃ。彼らは道路は造るが介護施設はおろそかにしたんじゃ。介護保険も15年くらい発足が遅れたんじゃ。政治家どもはそれよりも道路やダムの建設の方が儲かったからじゃ」

10、三郎「政治家が私利ばかりに走る。福祉は後回しにする。その間に老人介護などの為に、不幸な生涯を送った老人自身や嫁や家族は数え切れんぞ。人生一度きりじゃ。取り返しはつかんのじゃ。わしもその被害者の一人じゃ。こんな状態は、戦後60年のほとんど全部の期間、政権を取り続けた自民党とそれにすり寄ってきた公明党の政治家どもの、エゴ・怠慢のせいじゃぞ。わしの怒りには公憤と私憤が混ざっておるんじゃ。<私利に走る政治家=口説の徒>じゃぞ。ゆめゆめ、<口説の徒政治家>を当選させてはならんぞ。最近テレビで見れば、今までふんぞり返っておった<派閥の長クラス>の与党傲慢政治家どもが、汗流しながら、握手して回っておる。危ないちゅうてあわててのう!見苦しいのう!・・・じゃが、政権交代機運の到来があまりに遅すぎたんじゃ。・・その責任は、庶民の人物眼欠如にも、大いにあるんじゃ。自業自得でもあるんじゃ。60年間<口説の徒>にごまかされ続けてきた天唾愚民も悪いんじゃ。・・・・・・・エエ加減で眼を覚ませよ!!!」

11、三郎「あのな、わしゃ、北欧のスエーデンとかデンマークの話聞いたんじゃが、これらの国では、国民負担率(税金とか保険料とか、国民が所得の中から国に納める金の比率)が、日本よりはるかに高いんじゃ。ところが、あの国の人々に対するインタビューを何度聞いても、みんな満足しておるんじゃ。『払ったお金を福祉として返してもらっている』と言うんじゃ。政府や国会に対する信頼があり、福祉政策に対する満足感があるんじゃな。うらやましいのう!さっきから言うとるように、日本は戦後、民主主義を持ち込んでもろうたが、ほとんど全部を自民党や公明党が仕切って、国民が出したお金が、悪徳政治家たちに奪われておる。福祉政策は後進国並みじゃ。つまり政治の不正だらけじゃ。政治家が<口説の徒>だらけだったんじゃ。・・北欧がうらやましいのう!日本は民主主義後進国じゃ。老後を北欧で暮らしたいが、今からでは遅すぎる。・・・ともかく、与党政治家たちは、野党になりたくないんじゃ。・・うまい汁が吸えなくなるから。勿論、落選したくないんじゃ。・・税金から高給もらえなくなるから。・・・じゃから、悪徳政治家集団を落選させて、政権交代すべきなんじゃ。こりゃあ、悪徳政治家どもに対する、きついきついお灸になるんじゃ。エエか、政権交代はお灸なんじゃぞ。日本では、余程厳しいお灸を続けて据えんと、なかなか北欧みたいなエエ政治にはならんと思うぞ。まだまだ先は長いが、まずは手始めに、この月末に、必ず、やらにゃーならんのじゃぞ!!!」

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2009年8月11日 (火)

やましき沈黙

1三郎「NHKは夜10時過ぎから旧海軍幹部の、戦後の反省会の状況を放送しておる。三日連続らしい。二日目の昨夜は『やましき沈黙』と題したもんじゃったぞ。・・・わしゃ、先日『長岡に遊ぶ』ちゅう話してやったが、その時、長岡出身の山本五十六海軍大将(連合艦隊司令長官・戦死)について、<割合ましな方じゃったが、やはり、迫力が足りんかった。じゃから太平洋戦争の敗戦で何百万国民を苦しめたんだ>と、言うたじゃろうが。秀才が入った海軍兵学校を出て幹部海軍将校になった人たちも・・陸軍ほどではないが・・昭和20年8月15日までの戦争について、大いに責任があるんじゃ」

2、三郎「昨夜のNHKは、その一端に触れておった。昨夜は特攻(特別攻撃)作戦の話が中心じゃった。特攻作戦は、海軍が最初に始めて、陸軍があとに続いてやったんじゃ。海軍が始めたのが昭和19年10月じゃった。ええか、昭和16年12月8日に太平洋戦争を初めて、約3年経っておる(10カ月後の昭和20年8月15日には日本が負ける)、そんな時に始めた苦し紛れの戦法じゃ。緒戦の、海軍の、ハワイ真珠湾奇襲攻撃(昭和16年12月8日)は一応成功したが、その後はアメリカに押されっぱなし。<こりゃいかん>ちゅう、苦し紛れの戦法じゃ。それは、要するに、<飛行機や船に爆薬を装着して、人間(特攻隊員)が操縦して、そのまま敵の軍艦などに体当たりする>ちゅう自爆戦法じゃ」

3、六郎「特攻で死んだ隊員は海軍陸軍合わせて5000人以上と聞きましたが」 三郎「うむ、7000人説もあるぞ。この戦争で310万人死んだ、といわれる中の5000人ないし7000人じゃが、その意味が全く違うぞ。・・・あ、それから、310万人以外に、空襲で家を焼かれ、死んでいったり、かたわになったりした人数は数え切れんぞ。しかも例えば広島・長崎で被爆した人たちの後遺症は、今(平成21年)も続いていて、政府が保障するのしないのと、もめておるんじゃ」

4、三郎「あんた、わしがさっき、<特攻隊員の死は意味が違う>ちゅうたが。分かるじゃろうが?戦争は殺し合いじゃ。じゃが、絶対に死ぬと決まったわけではないんじゃ。<こちらはなるべく死なぬようにして相手を殺す>これが戦争じゃ。それでも、実に愚かなことじゃ。悲しいことじゃ。・・・じゃが特攻は、<体当たり・自爆攻撃>じゃ。<十死零生>じゃ。<真面目な個人に対する死の強要じゃ><100%人間性無視作戦>じゃ。・・こりゃー、絶対にあってはならぬ事じゃ。中東そのほかに、宗教的な気持の自爆作戦はあるが、こりゃ別問題じゃぞ。・・・それが、あの戦争のときに、陸海軍で公然と行われたんじゃ」

5、三郎「NHKで論じられておったが、歯切れが悪かった。聞いておってむしゃくしゃしたぞ。・・・あのな、当時こういう非人間的作戦を編み出してやらせた人間どもが、モゴモゴと誤魔化すし、言い訳するわい!・・あの戦争当時、特攻作戦はラジオや新聞やニュース映画などで、大々的に宣伝されたんじゃ。国民の戦意高揚が目的じゃった。わしゃ、はっきり覚えておるぞ。特攻隊員の人名もな。<神風特攻隊隊長・関行男大尉>などなど・・・。早くから洗脳されていた軍国少年や愛国国民を感動させたんじゃ。みんな、特攻隊員それぞれの気持など、何も考えずにな。・・・これが全体主義国家の典型じゃ。少し前に、日本は大政翼賛国家・・つまり国民全部がひたすら国(天皇)に奉仕する国家・・になっておったんじゃ。特攻作戦報道は、それを促進するために行われたんじゃ」

6、六郎「出撃前の特攻隊員の心の内は?」 三郎「分かるじゃろうが。ええか、当時、指揮官たちは<特攻隊員は志願した>と言うとった。責任逃れと美化の為に、じゃ。真っ赤なウソじゃった。そりゃー、周りの環境から志願せざるをえないようにしておいて、それでもって<彼らは自ら志願した>ちゅうたって、こりゃ真っ赤なウソじゃ。<いずれわしも後に続く>なんちゅうて送り出した指揮官で、実行した人間はあんまりおらんかったぞ。敗戦時の軍令部次長大西瀧治郎は、敗戦翌日割腹した。『旧部下の英霊と其の遺族に謝せんとす』ちゅう遺書を残してのう。宇垣纏第五航空艦隊司令長官は、敗戦後に部下を連れて特攻機彗星で沖縄本島の北の伊平屋島海岸に突っ込んだ。そのくらいじゃ」 六郎「宇垣さん、なんで部下連れて行ったんですかね?おのれの責任取るのに、道づれとは?解せませんね」

7、三郎「わしゃのう、開戦時(昭和16年12月8日)の、真珠湾攻撃のニュースを聞いたときに、源田実ちゅうパイロットが活躍したということを聞いて覚えておったぞ。あの人は、その後軍令部作戦課で特攻作戦にかかわったんじゃ。あのな軍令部ちゅうのは、海軍の作戦を決める中枢じゃ。陸軍は参謀本部じゃ。軍令部・参謀本部には、陸海軍の大学校を優秀な成績で出た人間が配属されるんじゃ。軍の中枢じゃぞ。その軍令部時代の源田氏は、昭和19年10月13日に文章を書いて部長の承認を得て打電した。相手は、当時フイリピンにおった大西滝治郎司令官だ(大西はその後に中央の軍令部次長になった)。その電文は『神風隊攻撃ノ発表ハ全軍ノ士気昂揚並ニ国民戦線ノ振作に至大ノ関係アル処 各隊攻撃ノ実施ノ都度・・・発表ノコトヲ取計ヒ・・』ちゅう内容じゃ。さっきわしが言うた事じゃ。特攻作戦の報道は国民の士気高揚にも使われたんじゃ。それはそれとしてじゃ、戦後、昭和62年に源田さんは、新聞記者に聞かれて、『神風特攻隊ちゅう名前はフイリピンに行ったときに大西氏から聞かされた』ちゅうたそうじゃ。こりゃどうなっちょるんじゃい?特攻隊のことになると、みんな<わしゃ知らんで>となるんじゃな。・・・余談じゃが、戦後、源田さんは自衛隊の航空幕僚長になったはずじゃ。航空幕僚長ちゅうたら、田母神さんとかいう人が、最近までなっておったのう。田母神さん、日本は<正しい戦争したんじゃ>ちゅうて本書いたり講演して回ったり人気者になっておる。最近はそういう論調の本が本屋に沢山並んでおるぞ。昭和初めの再来じゃな。歴史は繰り返す!?。<日本は正義だ。日本は強い>ちゅうのは、そりゃあ誰でも気分エエわい。じゃが、あくまで歴史事実を正確に知り、世界の平和に貢献する良識ある態度でなきゃならん」

8、三郎「神風特攻隊ちゅう命名を源田さんたちがやったことは、さっき言うた電文から明らかじゃが、それが<フイリピンで大西氏から聞かされた>となるのはなんでじゃ?すべて、モヤモヤじゃ。昨日のNHKの放送ですら、まだモヤモヤじゃ。そのくらい特攻作戦は非人間的で、みんなが『わしゃ知らん』と逃げたがるものなんじゃぞ。軍人とは昔の武士じゃ。武士はいさぎよいのが身上じゃなかったかい?じゃが、<軍人中の軍人>も、所詮は人間じゃな。・・あ、そうそう、その大西滝治郎氏が、フイリピンで、特攻隊を送り出すときに訓示した。その中にこんな言葉があるんじゃ。『・・・みなはすでに神であるから、世俗的な欲望はないだろう。もしあるとすれば、それは自分の体当たりが成功したかどうか、であろう。・・・自分は、みなの努力を最後までみとどけて、上聞に達する(天皇に報告する)ようにしよう。この点については。皆安心してくれ』・・とな。20歳前後の特攻隊員。みんな神にされた。この世に何の欲望も無い人間にされたんじゃ。今の田母神さんも、おんなじ気持ちの人なんかいのう??」

9、六郎「非人間的な特攻作戦。それは、海軍も陸軍も、苦し紛れに上級者が編み出して、成果も考えずに、若者たちに強要して、<志願だった>と誤魔化して、5000〰7000人を死なせて、しかも数十年後も、まだ<わしゃ知らん>と誤魔化している。陸軍では昭和19年2月に首相・陸相・参謀総長を兼務した東条英樹氏が関与していた、という見方が有力だ。・・・そもそも、陸海の首脳はすべて、対米戦争に勝ち目がない事は重々承知しておった。そこで<精神力だ>と言って戦争を始めた。追い込まれた。まさに<非人間的精神力による特攻作戦>を編み出して、若者に押し付けた。それを、当時の軍中枢幹部たちは、誰も批判しなかった。それがまさに、『やましき沈黙』という言い訳ですか?<後ろ暗い沈黙>ですか?・・そいうことですか?・・そうして、戦後も、今も・・、誤魔化し続けている!?」

10、三郎「特攻作戦は、最初米軍を驚かしたじゃろう。だが、彼らはすぐに対応した。猛烈な対空砲火で特攻機を艦船に近づけさせなかった。特攻機はむなしく海中に撃墜された。特攻には<人間魚雷回天>ちゅうもんもあったんじゃぞ。魚雷の中に人間を入れて、アメリカの軍艦に体当たりするもんじゃ。これも隊員が養成されておったが、結局効果は発揮せんかった。・・・あんた、隊員の気持分かるかい? <十死零生>の立場に立たされた気持分かるかい?わしゃ、戦争中、ニュース映画で特攻出撃場面を見たぞ。隊員は見送りの指揮官をにらんでおった。指揮官は視線を伏せておった。中には、にこやかに飛行機に乗った隊員もおった。だが、彼らの心中は???18歳の隊員もおったぞ」

11、三郎「訓練に痛めつけられて<もう死んでもいいや>と気分になった者もおったかもしれん。洗脳で軍国少年になりきって、<喜んで祖国の為に>と思うた者もおったかもしれん。じゃが、それは極く一部じゃ。特攻隊員たちのつらい気持ち、当時はどこにも言えんかった。母に送った手紙などにそれがにじみ出ておる。・・・それでも、気を許した時に、隊員がふと交した会話があるんじゃ。・・『これがニューヨーク爆撃なんて言うんなら喜んで行くがな。死んでも本望だ』『実際だ。心残りはアメリカをいっぺんも見ずに死ぬことさ。いっそ沖縄なんか行かず東の方へ飛んで行くかな』『むこうの奴ら(アメリカ軍)何と思うかな』『ホラ今日も馬鹿共が来た。こんな所までわざわざ自殺しに来る間抜けな奴だと笑うだろうよ』・・・彼らの気持が出ておるぞ。・・・それから、特攻隊員の独り言もあるぞ。『ああっ、だまされちゃった。特操(特別操縦見習士官)なんて名ばかり良くてさ、今度生まれる時はアメリカへ生まれるぞ』(保坂正康著・特攻と日本人)・・・みんな20歳前後の若者じゃぞ」

12、三郎「・・・あ、それから、特攻隊員を送り出した方の元大本営参謀の言葉もあるぞ。<大本営>ちゅうのは、陸軍参謀本部と海軍軍令部などをまとめた<日本陸海軍作戦の中枢中の中枢>じゃ・・・そこの参謀が、戦後ずいぶん経ってから言うたんじゃ。・・・『君ね。特攻はかわいそう、気の毒だというけれど、あれは日本が考えだした先駆的な戦法なんだよ。今の時代をみてごらん。ミサイルの中に埋められているコンピューターは、敵を探してその方向に自動的に飛んでいくだろう。それと同じだ。人間がコンピューターのかわりをしたんだ。ミサイルだってもとはと言えば、特攻隊の攻撃を範として考えられたんだ』じゃ。これが中枢幹部の本心じゃ。何時の時代も変わりゃせんぞ。・・・わしゃのう、最近しばしばテレビに出てくる某々与党政治家たちを見ると、どうしてもこの元大本営参謀の言葉を思い出してしまうんじゃ。<お腹の中は、あんたも、まったくおんなじじゃござんせんかい?>とな!・・わっしゃ、直感だけは鋭いんじゃぞ!」 

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2009年8月 8日 (土)

核廃絶・・・

1、三郎「本を読みながらチラチラ見たが、NHKの核廃絶に関する番組は、なかなかのもんだったぞ。今世界で、核を保有しておる国は7カ国、2万発じゃ。核を落とされたのは日本だけ。広島と長崎。各1発ずつ。2万発では間違いなく地球は終わりじゃ。広島・長崎の被爆者は今も苦しんでいる。一方、あの惨状を語れる人間は少なくなって行く。惨状を伝えることが重要じゃがそれだけではいけない。核廃絶運動をしなければ。ところがイランとか北朝鮮とか、新たに核を保有する国が出てくるというのが現状じゃ」

2、三郎「そんな時に、アメリカのオバマ大統領が核廃絶をうたった。勿論容易なことではないが、<その精神やよし>じゃ。世界の反核運動を勇気づけておる。それに比べて、唯一の被爆国日本の政治家は、昔から、実に、物足りぬ。なんちゅうたって自民党惰性内閣じゃからのう!・・麻生さんじゃからのう!・・勿論、アメリカとは国力などの違いはあるが、なんちゅうたって、原爆被害国は、世界で日本だけではないか!率先して核廃絶をうたい続けるべきじゃ。・・・ところで、<核兵器にまつわる被害者>となったら、日本以外にもあるんじゃぞ。例えばじゃ、南太平洋のフランス領ポリネシアでは、フランスの核実験場にされて193回やられた。1万人以上が被爆したが、何の保障もない。旧ソ連領カザフスタンのセミパラチンスクでも、ソ連が450回の核実験をやって被爆者は120万人じゃそうじゃ。・・・これまさに、大国の、権力の、許し難いエゴじゃ。とんでもない庶民蔑視じゃ」

3、三郎「ところで、最近、日本が右傾化してきたぞ。本屋の日本史の売り場には、集団的自衛権容認・軍備増強・歴史見直し(日本は過去に何ら侵略的なことはやっていない)・敵地先制攻撃容認・日本核武装論・・・などなどの本が増えておるんじゃ。上智大学渡部昇一名誉教授そのほかの人々の著書が、続々と出ておる。・・・核廃絶論の逆を行く ものが多いぞ。そんなことじゃから、戦後50余年続く日本国自民党政権が、核廃絶を訴えるなんちゅうことは、ある筈ないじゃないか!。最近の右傾著書の論者は、まさに昭和初期の帝国陸軍軍人や、無責任嬌慢政治家の再来みたいじゃ。いや、もっと言えば、明治の山県有朋につながる権力主義政治家の流れじゃ。まさに<歴史は繰り返す>じゃ!」

4、三郎「ところで、オバマらの核廃絶論はな、単なる、崇高な、精神運動なんかではないぞ。現実論なんじゃ。・・・この日本について言えば、じゃ、『この狭い島国日本は、地政学的に言って、もはや、戦争は出来ない』という故後藤田正春氏の言葉を思い出すぞ。こりゃー、極めつきの現実論じゃぞ。狭い島国日本じゃ。たとえ、日本が核武装したとして、それで日本が完全に守れるかい?もしも、原水爆を1・2発でも食らえば、日本は消滅するんじゃ。・・・本屋に並んだ図書に見られる最近の風潮は、昭和のはじめとおんなじじゃ。<日本は強い国になるべきじゃ。それが日本の誇りじゃ>とな。じゃが、それは下らぬ<昭和式強がり>で、決して<現実輪>じゃないぞ。<極めて無責任な精神論>じゃ。昭和を繰り返さぬように、新聞も、テレビも、庶民も、しっかりしなければならぬ。そうして、核時代の今日、核廃絶を・・如何に難しいとはいえ・・唱えなけらばならぬ。推進せねばならぬ。勿論、それが達成できるまで、我々は『万一の時に対する覚悟』を、しっかりと心に据えておかねばならぬ。ええか、『覚悟』じゃぞ。・・・それしかないんじゃ」

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国民は賢明だから???

1、三郎「テレビで、コメンテーターとか、政治家は、異口同音に『国民は賢明だから』とか『国民はよく見ている』とか言う。まずそういう人の9割は、腹の中で舌出しておる。本心は『国民ちゅうのは、実に軽薄だ。パフオーマンスに騙される。小泉人気がその例だ。だましやすいもんだ』と思うておるんじゃ。・・だが、政治家でも、パフオーマンスがうまい人間とそうでない人間がおる・・。成功例は、・・もう一度言うが・・、小泉さんじゃ」

2、六郎「ともかく、国民の命運を握る政治家を選ぶについては、人物・能力を見ないといけない?」 三郎「然りじゃ。見かけで軽薄に騒がずに、言動を冷静に判断して、『①能力は?つまり、知識・判断力・経綸は?と、②人柄は?つまり、真に国民の安全・幸せを願っておるか?』を見極めねばならんぞ。特に②は重大じゃぞ。・・<A、政治家の二世・三世で、しかも、B大金持ちの政治家>などの90%は『嬌慢・庶民蔑視人間』じゃ。口でいくら『国民の為に』というても、生まれ持った本性は変えられんのじゃ。じゃから、そんな人間のやることは、<権力しがみつき・自己顕示だけ・チャランポラン>じゃ。彼の心中は、<庶民は、生まれが生まれだから、ほどほどに暮らせ、それでばエエんだ>というこっちゃ。・・昭和初めの近衛文麿がその好例じゃし、今テレビに毎日出ておる御仁もそうじゃ。近衛文麿は、何百万の国民を戦争被害に追い込んだ張本人じゃ。今、毎日テレビに出ておる、あの政治家さんもおんなじことをやる可能性極めて大じゃ」

3、三郎「あの近衛首相は、日中戦争がはじまって、和睦が出来かけたときに、みずから『国民党政権を相手にせず』と・・かっこつけて・・宣言して、和睦を壊してしもうたんじゃ。その為に、その後、日本は太平洋戦争にまで追い込まれたんじゃ。近衛首相は、宣言した後で、『あんなこと言うてしもうたが、もしも、国民党側から和睦言うてきたらどうしよう?・・まーその時はその時だ』とうそぶいたんじゃ。まさにチャランプラン男じゃ。終戦後、戦犯容疑を受けた近衛さんは服毒自殺した。じゃが、何百万国民の、取り返しつかぬ不幸は、歴史に残って、今も続いておるぞ。政治家の能力・人柄は、大変な影響力を残すんじゃぞ」

4、三郎「<①政治家家系・②九州財閥>の麻生首相は、わしゃ、近衛以下じゃと思うぞ。あの漢字が読めないことが示すように、能力は明々白々じゃ。彼『老人は仕事するしか能がない』ちゅうた。『貧乏人は働き続けろ』『介護?福祉?そんなもん必要ない。仕事なくて飢え死にすればそれまでじゃ』ちゅうことかい?・・・本性出たのう!あの顔は、映画なら、アメリカのギャング組織の幹部にすぐ使えるぞ」

5、六郎「麻生首相の子分の中には、若い時苦労して・・政治家二世でもなく、金持ち家庭でもなく・・今日に及んだ御仁もいますよ」 三郎「そういう経歴人の中にもさまざまな人間がおるんじゃ。庶民の苦労が分かるはずじゃが、そこから①<庶民の幸せの為に>という政治をする人もおるし、全く逆に②<俺は苦労してきたんじゃ。じゃから、これからは権力にしがみつき、俺自身がエエ目をするんじゃ>という人間もおる。・・・あんたの言う、その子分は典型的な後者②じゃな。ありゃー、顔つき見れば、一目瞭然じゃ。陰湿じゃ。・・・後しばらくじゃが、是非、政権交代せんといかんぞ。庶民・子供・孫の為にのう!」

6、六郎「民主党には不安がある、と言われますが」 三郎「あたり前じゃろうが。民主党が政権とったら、初めてじゃ。何事でも初めてには不安がつきまとう。あたり前じゃ。あんたが、新入社員になった時に不安なかったかい。問題は能力と心じゃ。それがあれば、やがてエエ仕事ができる。不安不安ちゅう宣伝に惑わされて、<庶民蔑視で自己中の、それも、漢字も読めん、政治のセの字もわからん無能政治家たちに、政権任し続けるんかい?・・・あのな、まだまだ、北朝鮮なんちゅう、前時代的な、核保有暴走国があるんじゃ。・・・たとえ、経験は浅くとも、国民を大事に考える、真摯な、かつ、ほどほどの能力を備えた集団に政治を任せてみんといかんのじゃ。わしゃ民主党の岡田克也君などに期待しておるんじゃ。彼、金持ちの息子じゃが、<傲慢・嬌慢ではない>と、わしは見ておるんじゃ。やらしてみんかい?・・というより、あまりに下劣な自民党政権は、即刻退場させねば超危険なんじゃ。政権交代してみて、民主党たちが馴れてきておかしくなればまた交代じゃ。それしかないんじゃ。いずれにしても、<軽薄な人気>じゃなくて<冷静な人物眼>じゃぞ」

7,六郎「民放テレビ、4チャンも6も8も、若者集めてベラベラ・・バラエティー番組と言うんですね・・の下らぬ番組が多いですね。ありゃー国民の冷静な人物眼を曇らしますね。10チャンも12チャンもやっていますが。民放各社の経営者やプロデュサーは民主主義を壊す犯罪者です。選挙権はあっても人物眼がなけりゃ、ニセ民主主義ですから。・・・昭和の初め頃の新聞も似たようなものでしたね。戦果を大々的に報じたら新聞が売れるから派手に書く。昭和15年5月(日中戦争開始から3年目、太平洋戦争の前年)には内閣は新聞雑誌用紙統制委員会を作った。用紙配給の面から新聞社を手なづけようとした。16年1月には新聞紙等掲載制限令が雑誌に適用された。・・・新聞各社は、儲けの為に、それから国家統制を受けて、全面的に戦争協力をした。国民の考える余地を全く無くした。それにしても、やはり新聞は大きな犯罪を犯した。今の民放各局もおんなじです。今は、統制を安易にできません、一応民主主義の時代です。にもかかわらず、民放各社は、昔の新聞雑誌とおんなじような犯罪を繰り返している」 三郎「昨夜だったかな、NHKがやっておった<核廃絶>に関する番組は、なかなかによかったぞ。後で話してやるぞ」       

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2009年8月 5日 (水)

長岡に遊ぶ

1、三郎「8月2日、有名な長岡の花火を見に行ったぞ。往路のバスの中で、何度か夕立に遇い、なんとも不安多き花火行じゃったぞ。7時30分開始。桟敷席でゆっくり、9時まで。さすが見事な花火じゃった。例えば、目の前の信濃川沿いの川岸、左右3〰4百メートル程の間、に、一斉に花火が上がって交錯する。鮮やかじゃ。眼前の広い空間に、花火の壁ができる。更に、信濃川にかかる鉄橋(3百メートルはあろうか?)の端から端まで、から、・・数分間、川面に火が流れ落ちる・・まさにナイヤガラ・・・・。こりゃあ、見事じゃったぞ」 六郎「堪能した?」 三郎「然り・然り、じゃ。ただ、あと30分ちゅう時・・つまり9時になったところ・・で、急に激しい夕立が来たんじゃ。かくして、花火は中止。わしらは全身ズブ濡れになったぞ。宿泊した六日町まで2時間のバスの中は、ズブ濡れのままじゃった。ズブ濡れもあったが、楽しい一夜じゃった。宿の温泉気分は、一入じゃったぞ。数年前に、東京湾で、船上から見た花火も良かったが、それぞれ趣が違い、楽しかった。まさに、<花火を堪能した>ぞ。・・・<もう、わが人生で、花火は終わりにする>・・・ちゅう気分じゃ。命がもう少し続いたら、今度は趣を変えるぞ。・・・何にするかのう??」

2、三郎「長岡は山本五十六(イソロク)の生地じゃ。あんた五十六知っておるかい?」 六郎「旧海軍の連合艦隊司令長官。戦死した・・、でしょう?」 三郎「そうじゃ。わしゃ、長岡を歩きながら、『この町のどこで彼は生まれたのかな?もっとも、長岡も空襲受けたから、全然様変わりしておるじゃろうが・・』と、思うたもんじゃ。あんたくらいの年齢は、五十六の名前くらいは知っちょる。30〰40歳以下は全く知らん。日本では、歴史が語り継がれておらんのじゃ。昭和のことすら、中年以下は全く知らん。わずか70〰80年前じゃのに。しかも、戦争・国家総動員などなど、我々の父母や我々の運命を大きく左右した時代じゃのに」

3、六郎「学校で習いませんね。後は家庭の長の認識次第で子供の歴史知識が決まる?!」 三郎「まさに然り、じゃ。それが日本人の意識レベルのしからしむるところじや。<なんでもその場限り。お任せスタイル>じゃ。<のんびりしておる>などと言うておれん。まさに<愚かの極み>じゃ。五十六一人にかかわる事実を知るだけでも、あの頃の動き、・・なかでも・・政治家・軍人等国家リーダーたちの、<経綸・責任感・国民に対する愛情のなさ>がよく分かるんじゃ。それが今の麻生首相以下とおんなじなんじゃ。こんなリーダーにお任せじゃったから何百万の国民が、大不幸に遇うたんじゃ。それを知れば、目の前のリーダー選びの参考になるんじゃが」    

4、三郎「お粗末リーダーたちの中では、海軍の米内光正や山本五十六はましな方じゃった。近衛文麿とか東条英樹とか、陸軍参謀本部・陸軍省幹部などと比べればな。・・・米内・山本は、日独伊同盟締結にも反対しておった。太平洋戦争開始にも反対じゃった。じゃが、迫力が足りんかった。対米戦争の中心は海軍じゃ。じゃから海軍が断固対米開戦に反対したら戦争はできんかったはずじゃ。じゃが、連合艦隊司令長官山本五十六大将は、『1年間は暴れて御覧に入れます』などと格好つけすぎた。良識派ではあったが、結局、日本国民の運命に関する責任感が不足しておった。・・ええか、近衛にも、東条にも、米内にも、山本にも、すべてのリーダーにも、<戦争したら必ず日本が負けて、国民はえらいことになる>ちゅうこと、間違いなく分かっておった。じゃのに、<やってしもうた>んじゃ」

5、三郎「今の麻生首相以下の意識や経綸も、それとおんなじ、・・いやそれよりもはるかに下じゃ。これで、もしも、事態がもっと重大な局面になったなら、とんでもないことになるぞ。今や、日々、<愚かなる人間の、愚かなる政治>が続いておるんじゃ。早急に改めねばならぬ。歴史に学ばねばならぬ。歴史を知って、目の前に生かさにゃならん。・・・<長岡の花火>から、<歴史認識>に話が及んでしもうたが、<今や、日本国民の運命は花火の如し>じゃ」

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