スーパーモーニングを見た・・・。ひめゆり学徒隊
1、三郎「テレビ朝日のスーパーモーニングを8時頃から10時前まで見たぞ。ニュースや芸能情報や、ゴチャ混ぜだが、なるべく多くの視聴者をつかもうという、その苦心の程はよく分かった。宮崎県知事に関する騒ぎもあったが、そんなのは置いといて・・。わしゃ、沖縄の<ひめゆり学徒隊?>について、認識不足であったことに気がついたぞ。我ながら情けない。わしも戦後沖縄に2度行って一応は見聞きして来たのに」 六郎「それは?」 三郎「あれは女子生徒たちの志願隊だったそうじゃ。わしゃ、軍が学徒たちを強制的に編成したのかと思うておったんじゃ」
2、三郎「中学女生徒達?が、志願して、ひめゆり隊として、(壕の中の)陸軍病院の負傷兵看護や、軍の食料集めや水汲み等をやったんだ。沖縄南端の壕に追いつめられ、最後は、軍から壕を追い出されて、米軍の砲爆撃によって、手足をもぎ取られ、血だらけになって死んでいったそうだ。その間約3カ月のことだった。生き残った人が話していた。①戦後40年経って、初めて当時のことを語れるようになったとか。それにはさまざまな理由があったと思われるな。<つらさ・怖さ>・・もしかりだが、<死んだ生徒の家族に対する思いやり>もあったようだ。<悔しさ・恨み・・・絶対許せない>という言葉もあったぞ」 六郎「それは米軍に対する?」 三郎「確かに米軍の猛烈な砲爆撃で、友人たちが粉々になって死んだんだから、そうも思えるが、わしゃ、むしろ、日本軍などに対する恨みのように思えるぞ」
3、六郎「米軍と戦っていたのだから、砲爆撃は覚悟していた?・・生き残った人は、自決用に渡されていた手榴弾の栓が抜けずに困っていたら、米軍が来て取り上げて、捕虜になったとか」 三郎「米軍の砲爆撃最中に、少女を水汲みに行かせるし、最後には壕から追い出した。そんな日本軍だ。軍の最大の任務は国民を守ることにあるのに・・。言葉にはせぬが、彼女らの恨みの一番の相手は、日本軍じゃないかい?<兵隊さんの為に>と志願して来た少女たちを放り出したんだ。満州でも、日本軍は国民を放り出して、列車で逃げた。・・・わしゃ、<自らは、絶対に、そんなことはせん>と思うておるが、あの頃、そんな卑劣な日本将兵が、少なくなかったと聞く。軍人として、男として、いや人間として、許し難い卑劣さじゃ。戦時・平時にかかわらぬ問題じゃ」
4、三郎「人間はエゴじゃが、それだけか?・・・。今も卑劣漢は、どこにでもおるじゃろうが、あの当時は、みんな、<国の為に>、という、それだけを基準にして、教育され、締め付けられておった。東条英樹陸相は戦陣訓を出して、『生きて虜囚の辱めを受けず』ちゅうた。<国の為に死ぬまで戦え。命惜しむな>ちゅうた。そうして、兵隊は<おのれの命を守るために、少女を壕から放り出した>んじゃ。東条式教育は、『人間』とか『人間性』を忘れさせておったんじゃな。・・・『戦争を忘れるな。その悲惨さを語り継げ』と言われる。全くそう思うが、<戦争になったときの人間の卑劣さ>・・、これも語り伝えられねばならんぞ。<戦争はあらゆる意味で最低>なんじゃ」 六郎「戦陣訓・・・。なるほどねー。そういえば、東京裁判の被告たちは、あれは、いわば、捕虜ですね。東条首相も逮捕されようとした。その時東条さんは自分が出した戦陣訓を思い出した。自殺しようとした。だが、死ななかった・・・・・」 三郎「あんた何を言いたいんじゃ」 六郎「いえ、いえ、別に・・・」
5、三郎「②わしゃ、今日のスーパーモーニングで初めて知った。<ひめゆり隊員は志願したのだ>という事をな・・・。お父さんが大反対した。お母さんが泣いてすがってきた。当然じゃ。その時少女が言った。『お母さん、非国民と言われるよ』とな。そんな少女が、『お母さん』と叫びながら死んでいった。最近沖縄の壕の中で、死んだ少女の校章が見つかったそうじゃ・・・。当時の日本の空気は、ここまで至っておったのじゃ。わしが軍国少年になったのはあたりまえじゃ。少女の言葉を思い出すと、あんた、涙が出てこんかい??そこまでやったのは、古くは山県有朋・平沼騏一郎的人間たち・・・・、それから東条英樹・辻政信的な男たちじゃ。女にも、軍国主義的・非人間的な人物がおったはずじゃ。・・・いや、今でも、テレビで見る政治家や、なんとかいう女性小説家?や・・・は、全く『戦争の何たるか!』がわかっておらぬ。あんたら、充分心せんといかんぞよ」
| 固定リンク


コメント