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2008年12月

2008年12月28日 (日)

旅の終わりに

冠二郎が歌う「旅の終わりに」は五木寛之が作詞したそうだ。立原岬という作詞者名で。これは知らなかった。私の愛唱歌だが。

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蠟梅(ロウバイ)を月の香りと思いけり  読み人知らず

蠟梅を月の香りと思いけり  ラヂオで聞いたが、読み人を聞き洩らした。良い句だ。 ロウバイは中国原産・ロウバイ科ロウバイ属。江戸時代初期に渡来した観賞用の落葉低木。高さ2〰4m。葉は卵状楕円形で互生(茎の左右に互い違いにつく)。1〰3月、葉より先に径2cmの香りのよい黄色花を開く。内側は暗紫色を帯びる。内側もすべて黄色のものをソシンロウバイという。

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2008年12月27日 (土)

昭和初期のような情勢・人物・②

0、四郎「『昭和初期のような情勢・人物』を、わしの思いつきで、長々と話したんだが、どうせのことなら、そのまとめを『同②』として話してやるぞ。主に『渡部昭和史』を斜め読みした結果を使うて、・・のう!」 

1、四郎「国でも個人でも、過去を考えて、<相手にも非はあったが、わしもミスしてしもうたわい!>と反省することは必ずあるんだ。それを隠して<わしゃ何時も正しかったんだ>と言いつのるのは、<生来超傲慢人か、ド・厚かまし人か、ド・エゴイストか、超低脳人か>の、やることだ。いわんや『若者、兵士?の士気を高めるためには、<こちらの歴史は正しかった>ということにしないといけない』などと言うのは、まさに破廉恥だ。道理にも正義にも反し、近隣からも世界からも相手にされなくなるぞ。今、学者にも、政治家にも、官僚(自衛隊員も官僚だ)にも、こういう困った御仁が多くなってきたんじゃないかい?」

2、六郎「お聞きしたところでは、『渡部昭和史』では、『満州事変も太平洋戦争も外からの圧力に端を発し、それに国内の共産主義が動かされてやった』ということになりますね。日中戦争にはあまり触れていませんが、<それも同じ>ということでしょうね」

3、四郎「今、国会では、年末に雇用・住宅問題で困窮する国民に対して何の手も打っていない。これの原因は政治家(特に自民党)の傲慢だ。対庶民冷酷症だ。自民党幹事長は、野党の出した救済法案に対して『あれは社会主義だ』と言った。ここに彼らの人間性が出ている」

4、四郎「『渡部昭和史』に、『①マーリー・ストーム法(アメリカ)オタワ会議(イギリス)が昭和初期の日本を貧しくした。上流階級や資本家階級の責任は重くない②戦前の右翼は天皇を尊敬するだけの共産主義者だった。青年将校たちも、参謀本部の部長や師団長になれないという屈折・嫉妬心もこれあり、皇室廃止だけを取り除いた社会主義・共産主義に取りつかれた。これは維新の志士にも通じるしロシア革命のボルシエビキにも通じる思想だ。かくして五・一五事件や二・二六事件が起こった。こうして軍国主義が昂じて行った。③石油その他の輸入を止められた為に大戦突入ということになった』とある。これらの事実は確かにあった。問題は歴史をこの方向だけで説明することのトンチキぶりだ」

5、四郎「渡部氏は『大正から昭和にかけての日本が軍国主義だったという言い方がいかにトンチキな話であるかが分かると思います』と書いている。一時期、確かに軍人が肩身の狭い思いをしたことはあった。が、昭和5年生まれの氏は何にも感じなかったのだろうか?軍国調は学校教育でも、ラヂオでも、少年雑誌でも、映画でも、歌でも・・・。氏が3歳だった昭和7年には、①満州行進曲≪過ぎし日露の戦いに 勇士の骨を埋めたる・・・東洋平和のためならばわれらが命捨つるとも 何か惜まん日本の 生命線はここにあり 9千万の同胞と 共に守らん満州を≫②爆弾三勇士の歌≪廟行鎮(ビョウコウチン)の敵の陣 われの友隊すでに攻む・・≫③討匪行≪どこまで続く泥濘(ヌカルミ)ぞ 三日二夜を 食もなく 雨降りしぶく 鉄兜・・・≫などという歌をしょっちゅう聞かされたもんだ。≪敵中横断300里≫という小説を読み漁ったし、学校では軍事訓練、軍学校への進学奨励が行われた」

6、四郎「<大正から昭和初期に、日本に軍国主義がなかった>という渡部説こそ大トンチキだな。話が前後して恐縮だが、そもそも、明治23年12月6日第1回議会劈頭の山県有朋首相は『主権線・利益線演説』をやったんだよ。『国(主権線)を守るためには、外側に進出しなければならない。それが利益線だ』と。利益線は、朝鮮半島であったり満州蒙古であったり渡部昇一名誉教授が言うところのシナであったり、ハワイであったりするものだ」

7、六郎「日露戦争で大連・旅順や満鉄からロシアを追い出したが、すぐさまそれを、日本が手に入れた。イギリス・フランス・ドイツ・ロシア・アメリカなどなどは、勿論、帝国主義を進めたが、日本も他国への進出をもくろんだ。日露戦争がはじまった時、陸軍兵力は13個師団、戦争終了直後は17個師団だった。その2年後には19個師団になった。陸軍は平時25個師団、戦時50個師団を目標にしていた。その狙いは満州全土の支配、中国全土の支配であったそうですね」

8、六郎「大正3年に始まった第1次世界大戦に乗じて青島などを占領し、翌年に日本が中国に突きつけた21カ条要求、・・勿論、全部は通らなかったが・・、その要求内容はさながら中国を日本の属国にするような内容であった。山県の利益線思想は連綿と続いていた?」 四郎「然り然り。昭和6年の満洲事変勃発は、関東軍が線路爆破して、それをきっかけにして、ほぼ全満州を占領し、満州国という傀儡国家を作って溥儀皇帝を操った」

9、四郎「渡部名誉教授は『日中戦争の発端になった盧溝橋の発砲は中国共産党の陰謀だった』と言う。あるいはそうかもしれないが、証拠はない。真相は今も謎だ。昭和12年7月7日午後10時過ぎのことだ。そうして、9日午前2時、一度、日中両軍の間で停戦協定が成立したんだ。ところが、彼の有名な嬌慢軍人牟田口連隊長が独断で前進を命じて、停戦をこわしてしまった。だが、それだけじゃない。11日には、近衛文麿総理大臣が、朝鮮満洲から2個師団、内地から3個師団送ることを決定した。≪中国何するものぞ≫というわけだ。南京が陥落したが中国軍は奥地へ逃げてきりがない。参謀本部までが停戦を考えはじめたのに、昭和13年初め頃、近衛首相は『国民政府を相手にせず』という声明を出して、停戦の芽をつぶしてしまった。日本には軍だけでなく、首相にも、好戦論者があちこちにいたもんだ」

10、六郎「それを、≪盧溝橋発砲は中国共産軍の仕業だ、日本の侵略じゃない≫と言い、満州事変については≪張学良が青天白日気を掲げた。張学良は満洲で猛烈な反日運動を起こした。・・これらが満州事変につながった≫などと、一つの事件だけ取り上げて(都合の悪いことは取り上げないで)、結論をうたいあげる渡部氏は、宣伝屋だ学者じゃない」 四郎「そのとおりだ。前にも言ったが、盧溝橋発砲以外に、先方が日本側を攻撃したことも勿論少なくない。だが、歴史は冷静に眺めて、真因を追及せんといかんのだ。渡部論はあまりに単細胞すぎる」 六郎「そんな議論で、大切な自衛隊員の思想が偏ったら大変なことになりますね」 四郎「そうなれば、まさに、昭和初期頃の帝国陸軍将校教育の再現だ」

11、四郎「帝国陸軍将校教育の話が出たので、『太平洋戦争研究会編・日本陸軍がよく分かる本』から2〰3引用するぞ。辻政信大佐。口先がよく回った参謀だ。関東軍参謀の時に、ノモンハン事件を拡大して兵を多数無駄死にさせた。この時に日本軍の弱点・・近代兵器なし・・を痛いほど知らされながら、何の反省もなく2年後の太平洋戦争を進めた。シンガポールでもガダルカナルでも、無謀強引作戦で多くの若者を死に追いやった。戦後衆議院委員を4期も務めたほど人気があった。日本人は今も昔も、辻的・小泉的ハゥタリに弱いんだな」

12、四郎「武藤章中将。関東軍参謀時代勝手に内蒙古独立工作をやった。盧溝橋事件(日中戦争)が起きた時に『愉快なことが起こった』とつぶやいたのは有名。拡大方針を貫いた。中支那方面軍参謀副長としては、大本営の意図に反して南京攻略をけしかけた。東条配下の陸軍省軍務局長として太平洋戦争に突き進んだのだが、彼は、勝てないことは十分理解していた。海軍に開戦反対を言わせようとしたりしながらも、ずるずる日本国民を破滅に追い込んでいった。辻といい武藤といい、理性・知性・・何よりも正義感・・を欠いていた。・・・歴史を知らぬ自民党幹部に文民統制の意識がなく、自衛隊幹部が渡部名誉教授的扇動に動かされて辻型・武藤型になったら、それはまさに昭和初期の再現だ。日本国民は再び大不幸に遭遇するぞ」

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2008年12月24日 (水)

昭和初期のような情勢・人物・・・・・

1、六郎「今日(17日)の朝日新聞朝刊の声欄に82歳の人の投書がありました。『特攻指名の友母を恋い絶叫』という題で。『昭和20年春の陸軍基地。18歳の少年兵を集めて上官が≪特攻志願について○×△を書け≫と。ただ一人△を書いた者は顔の形が分からなくなるほど殴られた。志願者の一人が明日出撃という夜、滑走路に向かって≪母さん、母さーん≫と叫びながら走っていた』という内容でした」

2、四郎「特攻作戦は先ず昭和19年10月に海軍がはじめ、続いて陸軍も。この作戦での死者は7000人だったかなー。≪十死零生作戦≫という極めて非人間的な作戦だった。≪隊員はすべて志願者から≫という触れ込みだった。勿論実質強制だった。当時の報道は<隊員たちは毅然として飛び立って行った>だった。送るとき、指揮官の中将たちは必ず<わしらも必ず後に続くから>と言った。・・勿論、続いた者は一人もいなかった。米軍の空襲を避けて、いち早く基地から逃げ出した指揮官もいた」

3、四郎「保坂正康氏は『特攻と日本人』に『彼ら(特攻戦死者)は英雄でも、まして犬死でもない。戦争指導など行う資格のなかった軍事指導者によって進められたあの戦争の犠牲者なのである』と書いている。・・こういう指導者は、再び、我々の前に現れ始めているようだな・・」

4、四郎「保坂氏は『特攻隊員はいきなりある日突然に作られるのではない。・・・いささか偏頗な愛国教育、一元化した世論誘導、強圧的な使命感の涵養といった空間のなかで、特攻隊員はつくられていった』とも書いている。これに似たことをしたがっている政治家や軍人??が出始めているんじゃないかい?」

5、六郎「確かに愛国教育や雰囲気作りをやられたら、男の子たちは、つい≪かっこいい≫となりそうですね」 四郎「そう思うだろうが?!わしら、≪勝ってくるぞと勇ましく・・・≫・・・それも、カ、とか、ク、とか、イ、とかに、ぐっと力を入れて、気分盛り上げられたら、つい、≪わが身など捨てて、勇ましく、戦おう≫なんちゅう気分になったもんだ。昔、政治家や軍人が、そういう雰囲気作りに励んだんだな」 六郎「その背景に、たんまりと、愛国教育があった?」 四郎「そうだそうだ。愛国教育の一部には歴史教育もあったんだ」 六郎「愛国心涵養に便利な歴史教育?」 四郎」そうだそうだ」

6、六郎「それでも、十死零生の特攻はつらい??」 四郎「あたりまえだ。<5割か3割か2割か死の可能性がある場合>と、<十死零生>と、の間には、劃然たる違いがあるぞ。さっき、朝日新聞の声欄に出ていた、特攻隊員の悲痛な本心を話したが、保阪氏は『学徒出身特攻隊員たちの会話も書いている。≪向こうの奴ら(アメリカ軍)何と思うかな?≫≪ホラ今日も馬鹿共が来た。こんなところまでわざわざ自殺しにくるとはまぬけな奴だと笑うだろうよ≫と。それから、≪ああッ、だまされちゃった。特操(特別見習士官)なんて名ばかり良くてさ、今度生まれる時はアメリカへ生まれるぞ≫という独り言も、書いてあったぞ」 六郎「それなど、絶望的な悲しみや怒り・・を冗談ごかした、・・・ほんとにつらい会話や独り言・・・ですね」 四郎「そんな心、独善・傲慢・嬌慢指導者には、全然分からんのだ」

7、六郎「ああ、思い出しました。・・突然首を切られて職探しする派遣社員に対して、麻生首相が、<職探しするんだったら、自分は何をやりたいか決めてかからんといかんぞ>なんちゅうトンチンカンなことを言う、あの、テレビで見た傲慢な情景を思い出しました。立場の違いもあるが、これほど傲慢な指導者の下についた人間はほんとにかなしいですね」

8、六郎「『城山三郎著指揮官たちの特攻』にもこんな記述があります。『岩淵辰雄は海軍航空隊予科練秘話に記す。≪みな酔いつぶれて私も夜中に目が覚めた。すると寝床の中で泣いている者がいる。<お母さん>そう言って。いくら一人前の搭乗員といってもまだ20前の少年である。昼間は一番張り切っていた彼が泣いている。私も泣き出した。それにつられていつの間にかみな泣いている≫』」

9、四郎「独善指導者たちは、先ず歴史観・愛国心から入るんだぞ。昔も、今も・・・。最近『自衛隊員の士気を上げるためには、<日本の歴史は立派だった>、と思わせねばならん』という意味のことを語った御仁がいただろうが」 六郎「いましたいました。元航空幕僚長ですね?・・分かりましたよ。歴史事実じゃなくて、歴史創作ですね」 四郎「歴史認識は人さまざまだが、基本の歴史事実は、正確でなければならない。それでこそ、人間・国民・政府の本当の姿を示すものだ。そこから将来のあるべき行動が出てくるんだ。良識ある思考ができれば、必ず、将来に備えた意欲・・士気?・・が生まれるもんだ。もしも、ニセの歴史を教わっていて、それがばれたとしたら、指導者の人格はゼロになる!!。それじゃあ、意欲も士気もしぼんでしまうぞ」

10、四郎「歴史・・・。ここで満洲事変(昭和6年)あたりからの話するぞ。・・そのずっと前から、満州には日本軍が駐留しておった。関東軍だな。日清戦争(明治27・8年)の10年後の明治37・8年に日露戦争があった。日本はかろうじて勝ったんだが、先ず、その日露講和の前にアメリカやイギリスも日本の韓国支配を認め、日本は韓国の内政外交権を完全に掌握したんだ。続いて満州問題だ。日露戦争の戦場は殆ど満州だったが、そこにはロシアが清国(中国)から奪った(形式的には期限付き租借)土地があった。関東州・・遼東半島の旅順や大連など・・だ。日露間のポーツマス講和条約で、ロシアは、『清国から租借していた関東州や鉄道(長春〰旅順)を、清国が認めれば日本に譲る』と約束したんだ」

11、四郎「小村寿太郎外相はすぐに北京に乗り込んで22回に及ぶ交渉をして北京条約を結んだ。戦前にロシアが租借していた関東州・鉄道そのほかを、相手の反対を押し切って日本が手に入れることになった。日本は更に、鉄道周辺の炭鉱経営権や森林伐採権や遼東半島沿岸の漁業権も獲得したし、鉄道守備のためとして軍隊の駐留権をも得た。これが後の関東軍になったんだ。日本による満州支配のスタートだな。明治38年末のことだ。・・満州駐留陸軍部隊が関東軍という名称になったのは、たしか大正8年だったかな?最初の頃は一個師団そこそこだったと思うぞ・・」

12、六郎「鉄道経営をしたのが満鉄ですね?」 四郎「翌明治39年にできたのが国営の南満州鉄道株式会社だ。イギリスがインドで作った東インド会社をモデルにしたんだ。鉄道経営のほか土木・教育・衛生そのほかに関する行政権や徴税権まで持った。関東軍とともに満州支配に与った組織だ」

13、四郎「さて、大正時代だが、大正3年に第一次世界大戦が起こった。イギリスが援助要請してきたときに、日本は進んで参戦した。・・イギリスは、<そこまでは必要ない>と断ろうとしたが日本は強引に参戦した・・。関東州のある遼東半島の向かい側にある山東半島でドイツが中国から租借していた青島(チンタオ)などを日本軍が攻撃して占領したんだな」

14、四郎「青島占領から2ヶ月後の大正4年1月、日本は中国政府に対して『21条カ要求』を突きつけた。『●山東半島のドイツ権益について日本がドイツと協定したら全部認めろ●旅順・大連・満鉄などについての日本の租借権の期限を更に99年延長しろ●満州南部・蒙古東部で日本人に土地の賃借権・所有権・自由に居住・往来業務執行する権利・鉱山採掘権などを認めろ●中国は沿岸の港湾や島を他国に譲ったり貸したりするな●中国の中央政府に政治・財政・軍事に関する顧問として有力な日本人を雇い、必要な地方の警察を日中合同とし、警察官庁に多数の日本人を雇え』などなどだ」

15、六郎「こりゃすごい。<中国は日本の属国になれ>みたいですね」 四郎「当時は帝国主義時代(反省は始まっていたが)で、<日本は文明国、中国は未開国>という思い込みがあぅたからのう・・。特に最後の項目はひど過ぎた。イギリスがこの項目から日本に対する不信感を強めて、後の日英同盟破棄(大正10年)に繋がったとされているんだ」

16、四郎「昭和に入って満州では、先ず昭和3年の張作霖爆殺があった。さっき言うたように日本は明治以来、満州の関東州(大連・旅順など)とか満鉄を租借し、満州に様々な経営や関東軍を持っていたが、その頃、満州軍閥の有力者張作霖は華北(中国の北の部分)に入って北京で大元帥という地位に就いていたんだ。南部には蒋介石そのほかがいて不安定であったがな。・・・日本には張作霖を利用しようという勢力もいたが、関東軍高級参謀河本大作大佐は<張作霖は邪魔だ>とばかり独断で彼を爆死させたんだ。場所は奉天西北部の鉄道上だ。張作霖の乗った列車を爆破したんだ。補足するが、この時、<犯人が河本大佐だ>ということが明らかだったが、大した処罰はされなかった。これが、その後の<関東軍や陸軍中央の下剋上・政治介入>の一因になったんだな」

17、四郎「昭和5年頃、中国側は、『旅順・大連・満鉄の回収や関東軍の撤退』を日本側に要求してきていた。その頃陸軍中央部には『先ず国防国家体制確立・軍備拡張を促進し、その後(昭和7年とか10年とか)を目標に、満蒙問題解決を図る』という考えがあったが、関東軍は『満蒙問題の即時解決、つまり即時満蒙領有』を考えていた。関東軍では奉天城攻略のために24サンチ榴弾砲2門をひそかに内地から満州に運び込ませたりしていたんだ」

18、四郎「昭和6年9月18日、午後10時半頃、奉天に近い柳条湖で満鉄線が爆破された。関東軍の板垣・石原参謀の命を受けた河本中尉らが軽く爆破した。これをきっかけにかねての手配通り、関東軍は中国軍を攻撃し、忽ち奉天・長春を占領した。計画通り朝鮮軍も天皇の命令なしに応援に動いた。関東軍は5か月で、ほぼ満州全域を占領した。翌昭和7年3月1日、満州国が生まれて清朝最後の皇帝であった(清朝は大正元年に倒れていた)溥儀が満州国執政になり、その後皇帝になった。・・・満州事変は簡単にしゃべると、こういうことになるが、それから昭和12年に日中戦争開始、昭和16年に太平洋戦争開始と続くんだ。・・・後は省略する。自分で学べ」

19、四郎「ようやく本題に入るぞ。田母神ちゅう自衛隊航空幕僚長が、企業の懸賞論文に応募して一等になった。歴史について、『日本は何にも悪いことしていない。侵略について謝ったりするのは誤りだ』という趣旨らしいぞ。<その審査委員長が渡部昇一氏だった>という新聞記事を読んだような気がした。そこで、彼の著書を読んでみたんだ」

20、四郎「著者略歴には、<渡部昇一氏は昭和5年生まれ。上智大学卒。歴史・文明・社会など広い分野にくわしい。現上智大学名誉教授>と書いてある。かねて彼の歴史認識傾向は聞いておったんだが・・・。著書名は『昭和史』だ」

21、四郎「この本は松本清張氏の『昭和史発掘』を引き合いに出しながら書いておるんだ。先ず『松本さんは生前共産党支持を表明していたことからもわかるように暗黒史観(お尋ね者史観)の持ち主でした。23頁』とある。そして≪松本氏の記述と違い、当時(昭和前期?・・昭和20年まで?)の日本は他国に例を見ないような穏やかでいい国だった≫と来る。≪治安維持法で死刑になった人間は一人もいない。小林多喜二も警察に逮捕されて拷問で死んだ。警察の取り調べに行き過ぎがあった背景には、(警察の)同僚が共産党員に殺されたり負傷させられたりしたことがあったのだ≫とある」 六郎「<どちらが先か?>が問題ですね。治安維持法に基づく共産党員追及もないのに、共産党員が警察官を殺したのでしょうか?」

22、四郎「渡部さんは≪日露戦争で、日本は満洲全体をロシアの手から清国に取り返してやって、満鉄や関東州を租借しただけ。このどこが大陸侵略か?当然の権利だ≫と書いてある。・・・『渡部昭和史』には、昭和6年の満州事変はあまり詳しく書いてない。・・たとえば柳条湖の満鉄線爆破など出てこなかった。板垣参謀も板垣参帽も出て来やせんぞ。わしが斜め読みしたから見落としたんかいのう?」

23、六郎「満州事変はなぜ起こった、と?」 四郎「渡部昭和史には、≪張作霖の息子の張学良が、父の恨みもあって、満州がシナの一部だと宣言するために青天白日旗(中国の旗)を掲げた。それは許せん、ということが満州事変につながった≫≪張学良は満洲で反日運動を引き起こした。現地の日本企業や日本人が大変な目にあった。そのために満州事変が起こった≫と書いてあるだけじゃ。更に渡部さんは≪満州事変はシナのインティフアーダー(嫌がらせ)があったために起こったのですよ≫という岡崎久彦氏の言葉を引用しているぞ」 六郎「岡崎氏も、渡部氏同様に『日本は侵略なんかしていない』という外交評論家ですね?」 四郎「そうじゃな。反日行為があったから、というのも全く嘘じゃなかろうが、<もともとあった関東軍や陸軍中央の満蒙問題解決(領有)策>、は、ありゃあ≪歴史家の嘘≫なんかいのう?」

24、六郎「なんか、前後関係がすべて逆、という感じがしますね」 四郎「渡部さんはこうも書いておる。『満州で興った清朝がシナ本土(北京など)を治めたから満州とシナとは清朝の領土ということになった。清朝が倒れたなら、満州とシナは無関係。満洲は漢民族の土地ではないから』と<満州はシナではない>ちゅうことを強調している」 六郎「どういう意味?・・<満州侵略をしても中国侵略ではない>と?・・」 四郎「意味不明部分は無視無視、じゃな」 

25、四郎「渡部氏は『清朝(満州族の国)のラストエンペラー溥儀が父祖の地に起こした満洲国は文句のつけようがない。日本人は溥儀のその建国を手伝った。その過程で起こったのが、満州某重大事件(張作霖爆殺)であり、満州事変であった』と書いているぞ」 六郎「ほう。<溥儀さんが頑張ったのが始まり>ちゅうことですか?・・となると、<関東軍には満州領有案もあったが、それを建国に変えて傀儡国にした>なんちゅうのは<全くの嘘>ですか?皇帝溥儀さんが<わしに自由は全くない>と語った、というのも嘘?・・<大杉栄や妻や甥を殺した、あの甘粕正彦憲兵大尉が、やがて出獄して満州に渡り、溥儀さんの監視・教育役を果たした>というのも嘘?」

26、四郎「渡部さんは、昭和12年の日中戦争には全く触れていない。なんでかのう?・・・それから、太平洋戦争については、『この前の戦争へ至る道筋は、①<ホーリー・スムート法(アメリカ)とオタワ会議(イギリス)による(日本の)大不況を、マルクス主義的に解釈したことによる思想が生んだ五・一五事件、二・二六事件など>、や、②<石油その他の輸入を止められたこと>のために、・・大戦突入ということになった』と書いている。なんとも分かりにくい文章なんで、文章構造を、いささか分かりやすく話してやったんだが、要するに『先方がやったことから始まった』ちゅうこっちゃ」

27、四郎「勿論、ホーリー・スムート法やオタワ会議が日本を苦しめたことや石油禁輸は事実じゃ。が、歴史解釈は前後関係や、真因を、正確に、判断せんといかんのじゃ。・・・まー、以上、『渡部昭和史』の一部を取り上げただけじゃが、あの田母神さんの考え方はこの辺に根源があると思うぞ。だからこそ、渡部委員長らが田母神論文を『優等賞』にしたんだろうのう?・・・どうかいのう?これでエエのかいのう?・・・長くなったのう。語り終わって、なんだか空しいぞ。引き続き今までの話のまとめを話してやるぞ。」 六郎「私も歴史・・特に昭和史を・・本気で学びます。ともかく『先に結論ありき』という歴史の勉強は絶対イカン』ということが、よく分かりましたから」

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2008年12月 7日 (日)

自民党の犯罪

1、六郎「平成とともに介護保険が始まったんですね?」 三郎「そうじゃ、他の先進国に比べて15年・20年遅れじゃ。戦後・・つまり民主主義国になって・・50余年経っておった。これつまり、日本の形骸民主主義を表しておる。その原因は戦後継続した自民党政治じゃ。<政権交代なし=実質は非民主主義>が原因じゃ」 六郎「その介護保険制度が、また、極めてお粗末?」 三郎「そうじゃ。これも原因はおんなじじゃ。<自民党長期政権=政権交代なし=実質非民主主義=国民不在政治>なんじゃ」

2、三郎「西暦2000年頃、遅れて、しかも不十分な介護保険制度が始まったんじゃが、03、06年に介護報酬引き下げをやった。05〰06年に介護予防導入(介護費用抑制)をやった。特に小泉構造改革というものの柱の一つであった。要するに、もともとお粗末な介護保険制度を導入したんじゃが、すぐに、2度3度と改悪した。今はひどいもんじゃ。根本原因は、日本政府の大借金じゃ。その大借金は、戦後続いた自民党政権が、道路をはじめとした公共投資にいっぱい金使うて、利権をむさぼったからじゃ。つまり自民党議員たちが、道路工事などに税金使うてその相当部分を懐に入れ続けたんじゃ」

3、三郎「国に800兆円ちゅう巨大な借金ができて、さすがに<予算を抑えんならん>となったんじゃが、自民党議員たちは、道路建設などは減らさんで、介護保険費用などを減らしたんじゃ。国の介護保険がお粗末になって、一番困るのは、貧しい・・または・・中流の・・一般国民なんじゃ。<道路建設などで税金泥棒できる自民党議員たち>は、国の介護保険のお世話になる必要がないんじゃ。じゃから、彼奴等は、介護保険費用から削減するんじゃ。まさに、さっき言うた非民主主義国じゃ」

4、三郎「介護費用を引き下げたから、ますます、介護保険労働者は、給料が安くなり、労働時間が長くなる。介護に携わりたいというやさしい人は多くても、安月給・過重労働では、やってられない。介護労働者が不足する。それから、国が税金減らすから老人ホームの不足がますますひどくなる。比較的安く入れる老人ホームには何千人と待っている。待っているうちに死んでしまう。国からの介護報酬が減れば、民間有料老人ホームの経営も苦しくなって減る。または入居費用が高くなって、ちょっとやそっとの金持ちでも入れなくなる。結果は、要介護老人は悲しい人生を終わる。介護する家族は過労になり、無理心中などが増える。・・・これが日本の現状じゃ。これは民主主義国じゃないぞ」

5、三郎「あの戦争中・・軍国主義時代・・は、<戦備第一、戦争第一、国民無視>じゃった。悲惨じゃった。・・・じゃが、今も変わりゃせんぞ。経済は豊かになり、税金額は増えたが、それが、自民党族議員たちの懐に優先的に入って、介護される人・介護する人に対して税金が十分に使われておらん。庶民は老後を悲しく過ごし、家族たちは使れ果てておる。こりゃあ民主主義国じゃない。戦争中とおんなじ構図じゃ。何度も言うぞ。国民が、アホみたいに自民党議員に投票するから政権交代というお灸がすえられん。じゃから、議員たちは傲然として儲け続けておるんじゃ。こういう日本人をわしは天唾愚民と言うておるんじゃ。・・・そうじゃろうが。折角投票権があるのに、<族=賊・議員>ばっかりに投票し続けて、自分らが悲しい人生送っておる。これこそ自業自得・・天に唾する・・ちゅうこっちゃ。世界中でも珍しい<アホ=愚・国民>なんじゃ」

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どうしてこんな首相が?

1、六郎「5日(金曜日)の夕刊で読んだんですが、『終戦直後・・昭和22〰23年頃・・連合軍総司令部(GHQ)は<日本語は漢字が多くてむずかしい、そのために民主化が遅れているのではないか?。だから、調査してみて、その結果次第では、いっそのことローマ字にかえてしまえば?>と考えた。かくして大がかりな≪日本人の読み書き能力調査≫が行われた』とか。・・・驚きました。戦勝国というのはずいぶん傲慢になるんですね」

2、三郎「勝者や強国は驚くほど傲慢になるもんじゃ。例えばじゃが・・・日露戦争に勝った日本は、明治43年に韓国併合をやった。朝鮮半島を日本国の領土にしたんじゃ。そうして、その後、さまざまな同化策をやった。・・それは置いといて・・昭和14年日中戦争がはじまって2年後じゃが、日本は、朝鮮半島に対して半強制的な創氏改名をやらせたんじゃ。『日本人的な姓(苗字)にせい』ちゅうこっちゃ。やらんかったら、郵便物配達せんとか、さまざまな圧力をかけたもんじゃ。国語・言葉・姓名そのほかの文化を強制的に変えさせることは民族の命をとるようなもんじゃのに、傲慢になると気がつかんのじゃ。GHQもとんでもないこと考えたもんじゃな。ただ、言葉の理解度が民主化促進に対して関連あるちゅうことに気づいたのは、まーよろし」

3、六郎「なるほど、なるほど。ところで、先程の読み書き能力調査ですが、・・テストは今の小中学生が習うレベルで、全国の15歳から64歳の約1万7千人がテストを受けたところ、読み書きできないとされた人はわずか2%だったそうですよ。日本人は漢字がよく読めたんですね。おかげでローマ字を国語にされずに済んだ?」

4、三郎「ほう、<歴史に詳しい>と自負しておるわしも、その事実は知らんかったぞ。日本人の漢字能力はすばらしいもんじゃのう!・・・それにしても、あの麻生首相の漢字読解力の無さ。・・ありゃなんじゃい!日本人の中でも異常・異例・超特異・・・。ただただ驚きじゃな。踏襲をフシュウじゃと?未曽有をミゾユウじゃと?詳細をヨウサイじゃと?頻繁をハンザツじゃと?・・・こりゃあ、想像を絶するぞ。噴飯もの、驚嘆ものじゃ。ほんまに学習院大学卒かい??」

5、三郎「さっき言うたように、国語力の如何は、すなわち文化力の如何じゃ。まして麻生さんみたいな異常なまでの低国語力は、即、知力・判断力の低劣を意味するんじゃ。・・・選りによって、なんでこんな総理大臣じゃい。この人を総裁総理に選んだ自民党代議士たちには、国民の為なんちゅう心は微塵もない。あるのはおのれの保身だけ。ふざけるな」

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2008年12月 4日 (木)

またまた、この記事・・・

1、三郎「ブログに新聞記事を引用しようとすると、おんなじことがしばしば登場する。それほど、今日、同じことが繰り返されておるんじゃな。それも最低の事がな。今日の朝刊・天声人語『日本の首相はフグ刺しみたいになってきた。毒を抜かれたという意味ではない。薄っぺらで賞味期限が短いという意味だ。発足2カ月にして、麻生内閣の支持率が30%前後に沈んだ』じゃな。この種の記事は毎日じゃ。よっぽどひどいんじゃな」

2、六郎「金融庁が検査したところ、新東京銀行の不良債権過大・経営弱体化の裏に都庁からの圧力・・その裏には勿論石原知事・・があったことが明確化したそうです。麻生さんの低脳ブリ・軽薄ぶりは連日報道されていますが、石原知事も、『新東京銀行は旧経営者の責任』とか、妊婦の都立病院での死亡については『レヤケースだ』『国の責任だ』としか言っていない。麻生さんが<低脳・軽薄>なら、石原さんは<卑怯・傲慢>で、それも、世の男性にもなかなか見いだせないくらい、ものすごい低脳・軽薄・卑怯・傲慢じゃないですか!いわば日本人中の低脳軽薄卑怯傲慢の見本みたいな人物たちです。・・・なんで、そんな日本中のお粗末見本を、わざわざ、我々の運命にかかわる首相や知事に選んだんですかね??不思議・愚劣・落胆の極みですね」

3,六郎「想像つきます。親しい友人仲間では、麻生氏は『低脳(漢字だけじゃなく)・軽薄ぶり』で、石原氏は『卑怯・傲慢ぶり、特にその類い稀なる卑怯・卑劣ぶり』で、見下されていた筈です。いわば、<男として見下げ果てた奴>と思われていたはずです。そんな人間、我々仲間の中にたまにいます。それほど多くはないですが、いるんですよ。それが立候補して格好つけると、アホな庶民はころっとだまされるんですね。おそらく友人仲間は<よくもあんな奴が知事に?首相に?>と思うておる筈ですよ。・・呆れて、見下げて、ただ傍観・・というところでしょうね。特に、日本男子・・では、<卑怯>は<女の腐ったような男>というて軽蔑されてきました(この言葉は女性に失礼ですから、今は使えませんね)。低脳よりも軽薄よりも、<卑怯>が一番低劣ですね!・・・それが、今は、『女の腐ったような知事???』」

4、三郎「同じ在任2か月でも、タイでは首相府占拠などして、とうとう首相を辞めさせたぞ。彼等は自分や子孫を守ろうとしておるんじゃ。日本人は低脳軽薄卑怯傲慢の典型を首相や知事においたまま、なーにもせん。相変わらず、<よん様だ、なにさまだ>、ちゅうことだけで、へらへら日々を過ごしておる。世界中の笑い物国民じゃ。それだけじゃない、・・まさか石原氏がもう一度知事に立候補することはないじゃろうが・・万一立候補したら100万票くらい入れそうじゃ。それくらい日本人・都民は超アホなんじゃ。知事の<売名行為=オリンピック誘致>にも協力する芸能人・スポーツマンがおる。彼等は低脳日本人の、その又典型的な、超低脳人じゃ。オリンピック誘致に何千億円も金使う裏に病気・貧困で苦しむ都民が何十万人もおるちゅうのに、ドアホ都民はそれを思わんのじゃ。きゃつらには脳味噌がないんじゃ」 六郎「麻生内閣がまだ30%支持されているということが不思議ですね。普通の国民なら支持率0〰3%のはずなのに。これもドアホ国民の証し?」

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2008年12月 3日 (水)

何と!若い政権・・

1、四郎「新聞によると、オバマ政権の主要な顔ぶれが早々と決まった。日本のそれとの違いばかりが目立つが、年齢だけに着目しても、新聞に出た11人は、60歳代が3人、50歳代が3人、40歳代がオバマ氏を含めて4人、報道官は37歳だ。何と若い!・・・。若いだけがいいわけではないが、経歴を見ると、如何にも力感がある」

2、六郎「オバマ氏の演説が与える印象そのまま、という感じですね」 四郎「アメリカ新権力は、如何にも≪清新≫だが、日本の権力は、なんとも≪愚昧≫だな。こんな印象を与える第一の原因は、勿論、麻生首相だ。どっかの週刊誌の広告によれば、麻生氏の学習院時代の成績は50点以下とか。或る友人が『学習院ちゅう大学は、成績ではなく家柄で入学や卒業を決めるんかい?』と言ったが、別の友人が『漢字読み違いだけだなくて、アレコレ見ていたら、≪それがホンマ≫という気がするな』と言ったぞ」

3、六郎「ほかの学習院卒業者お気の毒・・・」 四郎「それにしても定額給付金は、歴史に残る愚策だな。一般財源化も誤魔化しだった・・・。漢字読み違いだけじゃない・・・。さらに見え見えの庶民性ジェスチャーがあるぞ。マンガ・秋葉原・・・無理して大学生と飲んで見せたが、その学生はすべて、自民党学生部の者だったそうだ。ジェスチャーばかりの政治家はいっぱいいるが、こうも薄っぺらな御仁は、・・・その中でも一段と希少価値だな」

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