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2008年9月29日 (月)

ノモンハン事件・太平洋戦争の辻政信参謀、戦後衆議院議員に・・

1、六郎「先日、<麻生政権の大臣見ていると、70年昔の帝国陸軍辻政信参謀を連想する>と聞きましたが、その心は?」 四郎「共通点いっぱいだよ」 六郎「だとすると辻さんの話聞かねば??」 四郎「陸軍幼年学校・士官学校・陸軍大学校(成績優秀で卒業)した生粋の帝国陸軍幹部である辻政信参謀は、昭和初期の政治を牛耳った陸軍権力の中堅だ。特徴は≪①特権意識・独善(彼らは民間人を地方人と呼んでいた。国のために国民は、黙って滅私奉公すべきだ、と思っていた)②庶民蔑視(兵隊などは1銭5厘の葉書一枚で幾らでも招集できる)③精神主義・冷酷(戦争は敗けたと感じたものが、敗けたのである。・・この辻参謀の言葉は、先ごろ明らかにされた、あの東条英機元首相の言葉そっくりだ。合理性軽視の最たるもの)≫などなど。まだまだあるが、後は具体的に話すよ」

2、四郎「辻参謀は、ノモンハン事件を主導したし、太平洋戦争ではシンガポール作戦・ガダルカナル作戦そのほかで、その特徴をいかんなく発揮したんだ。長くなるからノモンハン事件を中心にして話してやるぞ」 六郎「私ら、何も知りません。是非聞きたいですね」 四郎「辻陸軍大尉は昭和12年頃?には関東軍参謀だった。やがて少佐に昇進した。あんた、関東軍を知っておるかい?」 六郎「明治38年日露戦争が終わって日本は中国から関東州(大連などがある遼東半島)や南満州鉄道付属地(長さ約430㎞・幅約62m)を手に入れた。この地域の守備に駐屯した日本軍が後に(大正8年?)関東軍と呼ばれるようになったんだ。この関東軍がだんだんと強大化して昭和6年には、謀略でもって満州事変を起こし、領域を広げて、満州国を作り上げたんだ(昭和7年)。満洲国という日本の傀儡国は、先の関東州を含む中国東北部の広大な地域(日本の約3倍)に広がったわけだ」

3、四郎「その満洲国は北はソ連、西はモンゴルと接していた。モンゴルとの間の国境線は曖昧であったから、しょっちゅう国境を犯した犯さないというごたごたがあった。年に百回以上も紛争が起こっていた。モンゴルの後ろにはソ連がついていた。陸軍中央は関東軍に対して<大戦争にならぬようにせよ>と命じていたんだが、そんな頃、関東軍参謀辻政信は、『満ソ国境紛争処理要綱』を起案して上司にあげた。その内容は<ソ連軍軽視・強気の武断主義>であった。中央に対する下剋上も辻の特徴であった」

4、六郎「関東軍はソ連軍に対して、そんなに優勢だったのですか?」 四郎「ノモンハン事件直前の昭和14年春、日本軍11個師団・ソ連軍30個師団、戦車は日本軍200輌・ソ連軍2200輌、飛行機日本軍560機・ソ連軍2500機、ソ連軍は重砲なども充分に装備していた。日本軍は銃剣による白兵戦を得意とする、という状態であったんだ」 六郎「そんな状態で、プロ軍人である参謀がどうして強気方針を?」 四郎「そう思うだろう?当然だ。辻参謀も勿論装備面での劣勢は知っていた。だが、彼は<ソ連軍は消極鈍重・頭脳粗雑・・非科学的・精神力を欠く>などと信じていたか、そう思いたがっていた筈だ」 六郎「兵士の命を預かる身が何と?」 四郎「そこがそれ、1銭5厘だ。ともかく<精神力で火力に対峙すれば、損害は大きくても最後には何とかなる>と思ったんじゃないか?後方で指揮するおのれの戦功・昇進しか考えなかった筈だ」

5、六郎「前にあなたから聞いた<太平洋戦争前の東条英機>・・を思い出します」 四郎「<昭和15年11月、東条と武藤(軍務局長)は陸軍省戦備課長岡田菊三郎に・・日米戦力比資料を作らせた。報告書には・・対英米戦争後3年目から物量が減少し、船舶問題は重大化、石炭搬出の減少で全生産が麻痺、軽工業資源の窮迫が予想される、などと、すべてに絶望的な数字が並んでいた。・・・東条はこの報告書を省部の上層部にしか知らせなかった。(保阪正康著・東条英機と天皇の時代220P、)>がそれだ」

6、四郎「東条もまた、<精神力で勝つ>、とか、<何とかなる>、とか思ったんじゃないかい?彼は、日本のポツダム宣言受諾(降伏)決定時にもまだ、<情けない>、と怒っていたんだ。これはもうヤケッパチだ」 六郎「辻参謀・東条首相らの国民に対する責任感とか愛情などは?」 四郎「それは考えられないぞ。<難しいが、あわよくばうまく行って、俺の功績になれば!>ということかな?・・とんでもないぞ。それとも<おのれの栄誉のためには、たとえ奇跡的であっても、敢えて冒険する>という気分になるんかのう?・・何時の時代の為政者・政治権力保持者にも似たところがあるんじゃないかい?勿論、現在でも」

7、四郎「話を戻すぞ。昭和14年5月中旬から8月末まで、満州国西北部ノモンハン付近のホロンバイル草原で、<関東軍+満州国軍>対<極東ソ連軍+モンゴル軍>の大激戦・・死闘・・が行われた。これがノモンハン事件だ。辻参謀が起案した、先の『満ソ国交紛争処理要綱』の強気が第一線司令官の背中を押したことは言うまでもない。しかも、<大戦争にならぬように>という方針を示していた軍中央は、辻たちの強硬方針・・処理要綱・・に対して明確な規制を加えていなかった。下剋上は陸軍組織に沁み込み始めていたんだ」

8、四郎「戦争の細部は省くが、ともかく、辻に始まる関東軍側の強気に対して、ソ連軍側も優勢な機械化部隊を行使して、激烈な戦闘を繰り返した。この間、例えば外モンゴル空襲の命令が辻参謀の独断であったり、それに対する軍中央からの抗議電報を辻参謀が握りつぶしたり、重大な軍紀違反もみとめられたそうだぞ。ともかく、ノモンハン戦争は、飛行機・戦車・重砲・機関銃・自動小銃による機械化攻撃を加えてくるソ連軍に対して、対戦車地雷・爆薬・火炎ビンを持った日本兵が戦車に対して白兵戦を挑んだり、日本軍歩兵が三八式歩兵銃に銃剣をつけて夜襲攻撃を加えるというような戦争であったんだ。三八式歩兵銃というのはなー、明治38年の日露戦争末期に制定された銃だ。弾を5発つめて、1発撃つたびに槓桿(コウカン)と言われる金具をガチャガチャと動かしてから次の弾を撃つんだ。弾丸をイッパイ製造してあったから日本軍はこれを太平洋戦争まで使った。機関銃や自動小銃には到底かなわんぞ」

9、四郎「戦争は、日本軍が撤退・全滅を繰り返し、8月末に終わらさざるを得なかった。日本軍の損害は死傷約19000人と言われる。ソ連軍・モンゴル軍の損害もそれ以上と言われていたが、結果として、争われていた国境線は先方の言う通りになったんだから、こりゃあ敗北だな。補給充分な戦車・重砲・自動小銃に対して、乏しい補給(たとえば携帯口糧2日分だけ、など)で立ち向かった日本兵がなんとも痛ましいぞ。爆薬持って近づいて戦車に踏みつぶされた若者が痛ましいぞ。それが先方にも大きな損害は与えたが、結局は敗北だ。・・・さて、戦後、関東軍第一線の司令官クラスは軍を退いた。第一線連隊長クラス(大佐・中佐・・自衛隊の一佐・二佐)の多くが、部下の全滅や退却の責任をとらされて自決に追い込まれた。7〰8人はいたのではないか?中には、<上司が、連隊長の前に拳銃を置いて一人残して出て行った・・連隊長は自決した・・>という話も聞いたことがあるぞ。本来無理な作戦による戦闘で、結局第一線が死に、責任をたらされた」

10、六郎「ところがだ、ノモンハン事件という大戦争を・・それも中央に反して・・推進した関東軍辻参謀やその上司の服部参謀は、1〰2年して参謀本部に復帰し、太平洋戦争を主導した。辻はシンガポール・ガダリカナルそのほかで同じようなことを繰り返し、1銭5厘で集めた多くの若者を無駄に死なせた。太平洋戦後、辻は戦犯を逃れてあちこちに潜伏。その後『潜行三千』そのほかのベストセラーをものし、遂には石川一区から立候補し、最高点で衆議院議員になったんだな」 六郎「ほう、石川一区の選挙民???」 

11、四郎「『千葉県人がゴネ徳した』『戦後教育が悪い。日教組は粉砕すべきだ』『日本は単一民族だ』と言うて国交大臣を辞任した御仁は、言いたい放題しながら、何度も大臣になった。しばしば問題発言してきた。その独善・庶民蔑視は明々白々だ。これが国会議員を何選もしている。文教族だそうだ。麻生さんたちと意見は近いいんだろう。安倍さんとも。『日教組けしからぬ。国旗・国歌尊重せい。愛国心を国民に植え付けねばならぬ。集団的自衛権見直して、自衛隊を海外にどんどん出さねばならぬ・・・。わしらの意識は絶対だ。庶民は黙ってついてこい・・・』かな?・・・私は、今の自民党政権を見ながら、70年前の辻参謀なんかを思い出した。はて、はて????」 

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